前回↓
恋をした。冬の蛇口からぽたぽたと零れる冷たさのように、身に染みる恋。
「知りたい」。お嬢様のことを、もっと。その想いを燻らせて、僕は二通目の手紙を綴る。
拝啓 貴音さん
めっきり冷え込んで、温かいスープが恋しい季節になりましたね。美しい冬の海のまちで、貴女はいかがお過ごしでしょうか。
素敵なお手紙と写真をどうもありがとう。まぶしい青色の海原が、心の中に広がっていくようでした。きっと貴音さんはこの湾を望みながら、潮風の香る穏やかな暮らしをされているのでしょうね。窮屈な東京の大学街に暮らしている僕は、ついつい憧れてしまいます。
明日の実験に備えて、そろそろ寝ようと思います。貴音さんも僕と同じ学生でしょうか、それともお仕事をされているのでしょうか。
それでは、良い朝を. 敬具 桐谷
思いの丈を素直に記して、かじかんだ手で、夜中のポストに封筒を投じた。ポストはカラン、と音を立てた。
長く待つことなく、お返事はすぐに返って来た。お嬢様もきっと、同じ気持ちで。
拝啓 桐谷様
寒さが一層身に染み入るこの冬の日に、心温まる素敵なお手紙をありがとう。冷たい風が窓を揺らす中、桐谷さんの生活に思いを馳せています。
東京での生活はきっと刺激に満ちた、心踊るものなのでしょうか。地方で生まれ育ち、そして今の大学院までも■■県■■に縛られている私にとって、あなたの生活は、ほんの少しですが、羨ましいのです。
それでは、また 貴音
貴音さんは僕と同じ、大学院生だった。やわらかい湯気のような親近感が、ふっと立ち上がる。僕が機材に囲まれながら筆を執っているひとときに、もしかしたら貴音さんもきっと、同じようにコーヒーを飲みながら、ほんの少しの懊悩に心を預けているのかもしれなくて。
ごまかすように鉛筆で消された、黒塗りの文字――僕の目に間違いが無ければ「広島県厳島」。雅やかな海の神社のまちで、貴音さんは生まれ育ち、そして今も留まり続けている。言わば箱入り娘……いや、深窓の令嬢なのだ、彼女は。
……けれども、しかし。僕には気がかりがあった。一通目のお返事のことを思い出していた。
「貴方が手紙を送ってくれた住所から、つい先日引越しを行ったのです」
それが本当なのだとしたら。貴音さんは、厳島に縛られ続けているはずはない。僕は彼女に、東京の住所を書いて送ったのだから。
貴音さんは——貴女は、嘘をついている? それとも——
追伸
裏山の写真を送ります。最近は散歩をしながら街の歴史に触れ、今ではない当時に思いを巡らせています。 貴音
それは、人知れずひっそりとたたずむ、みずみずしい沢の写真。
お嬢様――貴音さんは今、いよいよミステリアスな色合いを纏って、煙に巻くように僕を試している。
或いは、彼女が嘘をついていないのだとしたら、貴音さんは僕に探し出してほしいと、そう云っているようにも思える。
僕は新しい便箋を一度引き出しに押し込んだ。そしてパソコンと、使い古したノートを開く。
貴音さんの居場所と、謎と——貴女の想いを読み解くために。
【3】へつづく