863日目 お嬢様から一通の手紙が届いた【1】

 

 恋をした。

 

 稲妻のような恋だった。

 

 

 

 人混みを掻き分けて、僕はひとり、冬の街を彷徨った。

 ちいさな雑貨屋の古びた棚に、ほこりを被ったうつくしいレターセットを見つけた。

 

 やわらかい和紙の包み紙を鞄にしまって、僕はまっすぐに家に帰った。机に座ると、はやる気持ちを抑えきれなくて、鉛筆を取った。

 

 

 

 拝啓 お嬢様

 初めまして。僕は桐谷と言います。突然お手紙を送ってすみません。どうしても気になったのです。

 冬一番がやってきたあの日曜日、僕が駅前の雑踏に立っていると、前の女性がはらりと名刺を落としました。あわてて拾い上げて声をかけようとしたら、あなたは黒髪を揺らしながら人波に消えてゆくところでした。その軽やかな歩みだけを、僕はあなたについて知っているのです。

 僕は冴えない大学院生です。お嬢様、ぜひあなたのことを教えてください。

 この手紙が届くことを祈って. 敬具

 

 

 投函してから、思い悩んだ。怪しまれるだろう。怖がらせるかもしれない。……それでも。

 日に日に冷え込んでいく、暮れの寒空を見上げながら、僕は祈った。この想いよ、届け。

 

 

 一ヶ月後。

 一通の手紙が、届いた。

 なかにはかわいらしい便箋と、一枚のまぶしい海の写真が入っていた。

 

 

 

 桐谷さん

 初めまして。素敵なお手紙をありがとう。以前旅行で立ち寄った■■県でこんな出会いをするなんて、これも何かの縁かもしれないですね。

 実は貴方が手紙を送ってくれた住所から、つい先日引越しを行ったのです。場所は、海に臨む静かな街。

 写真を一枚同封します。いつか会いに来てください。

 この手紙が届きますように。 及栖貴音

 

 

 及栖貴音。たかね。たかねさん。

 僕は何度もその名を、小さく口に出して呼んだ。呼べば呼ぶほど、あのゆららかな黒髪の後ろ姿が、確かな一人の女性として目の前に現れるような気がした。

 丸みのある素朴な筆致で、丁寧に綴られた言葉。静かな海の街に越したという、ミステリアスなお嬢様。

 豊かな藍色の湾のどこかに、きっと貴音さんの住むつつましい家がある。

 

「この手紙が届きますように。」

 

 桜色のちいさな封筒を裏返した。送り主に、貴音さんのあたらしい住所が書かれている。

 僕は引き出しを開けて、一枚のまっさらな便箋を取り出し、いま、彼女の名前を鉛筆で綴る。

 

            【2】へつづく