1005日目 なにせ不器用なものだから

 

どういうわけだかあまりにもするりと関門を抜けてきてしまったせいで、ある地点に到達するために必要なそれ相応の自己研鑽とか、何重にも保険を掛けておくこととか、そういう当たり前の向き合い方が身に付いていなかったみたいです。いえ、元より短所の自認はできていましたよ。ただ、これまでどうにかなってきたから、次もどうにかなるだろう、という長い長いビギナーズラックの爆弾を、この歳まで抱え続けてしまった。それがついにタイムボカン、と。

思えばこれまでの歩みが出来過ぎていたとも言え、鶏口牛後とも言いますし、再来年くらいに「あのとき背伸びを諦めて良かった」とポジティブに捉えられているかもしれません。けれども、いやが上にも吊り上がっていく(過大な)期待になんとか土壇場で応え続け、それをアイデンティティとして笑ってきた十年余りだったので、深く悲嘆に暮れるほどの結末ではないにせよ「そこに立つ権利を勝ち取れなかった」というショックは存外に大きく、ああこれが失敗体験というやつね、と今さらながらにプライドがへし折れるしょっぱさを味わっている二十三の春です。

仔細に見ればさまざまな思いが渦巻きますよ。まだ決めつけるには早い、希望を捨てるな、とか。いやいや妥当だ、本心ではこれくらいを望んでいたはずだ、とか。俺は十分やった、勝負の土俵が変わったのが悪いんだ、セコい奴らが憎い、とか。闇鍋のような感情。けれどももう、いいんです。俺は人間の改心や、無限の情熱を信じません。今の俺にできることは、心を入れ替えて真っすぐに励むことでもなければ、意地を張って勇敢に再挑戦することでもない。ただ結果をゆっくりと呑み込んで、今は今やれることだけを考える。それしかないんです。なにせ、心が不器用なものだから。

あっと驚くようなワンチャンに縋らない。それが我がプライドの最後の砦です。俺は心を決めました。到達した地が一体どこであれ、一旦この旅は終わりです。そんなことよりもいよいよ明日から、学生の本望ただそれだけを追い求める日々へと足を突っ込んでいこう――。