1006日目 理解のある彼くん

 

たった二駅で途中下車して、また二駅で降りては乗って、ひいこら、腹痛の実質と観念の両方に苦しみながら、派手に遅刻してバイト先へ。今朝の冷え込みが良くなかったか、遅延する満員電車のプレッシャーに負けたか、はたまた色濃い就活のストレスか、果たしてそれら全部なのかも存じ上げないが。どうも自分の過敏症は精神の弱さに依っていて、意識的に食生活を変えたって治らず、一度しんどい記憶が残れば最後、じわじわジンクスの沼に嵌るばかりで、今度の泊まり込みの外出も今から憂鬱でたまらない。のみならず、先々はタイトな現業に臨む予定もあり、到底「途中下車」なんぞ言い出せない、ガチガチの閉空間に囚われることへの緊張、危惧、大袈裟でなくこの先数十年間へのドス黒い不安、そうしたものに取り憑かれて、文字通りの希死念慮を抱きながら電車に揺られていた。一駅一駅が無限のように長かった。

 

嘘をつき、人を欺くということがえらく苦手だ。こと人付き合いの上手い人や企業体なんかと関われば嫌でも思い知らされるが、人生の綱渡りに長けた人々は「嘘も方便」を当然のように使いこなす。時には方便の範疇を越え「裏切り」に近いことすらあるが、結果が丸く収まる見込みなら連中は微塵も遠慮がない。そこに行くと俺はよっぽど不器用で、表向き「そんなのは嘘をついたって構わない」と言われるような場面でさえ、虚偽を取り繕うのが苦しく、酸っぱく、欺ききれない本心が口の端からぽたぽた零れる。なに、偽善? 臆病? ふ、ふざけるな✊😠 誠実という契約は社会的動物の根幹を成すドグマではないのか。疑心を取り払わんがため正直の握手を求める者が嘲笑われる、そんなのが大人の世界だと俺はまだ信じたくない。

 

けれどもどんなにどん底に沈んでも、松屋のミエロニィハンバーグ定食は頬が落ちるほど美味く、その一点においては今日はいい一日だった。

越した夜の数だけ傷が癒えるのを体感的に知っている。限界OLが彼くんの帰宅を待つ刹那のように、俺は床に寝そべってスマホを弄ぶ。