931日目 取り返したくて、知らない街を歩く。

 

今となっては東京の大学院生だが、学部時代の四年間は別の地域の大学に通っていた。詳しくは言うまいが、文化や歴史の面でそこそこ名を知られ、人気小説の舞台ともなるような大学だった。

けれども、俺自身が俗に言う「おもろい◯大生」として過ごしていたのかといえば、そんなことはない。コロナ禍をいいことにあらゆる人間関係を避け、引きこもりの傾向を強めていた俺にとっては、あの小説で読んだ奇妙でロマンティックな大学生像は幻だった。個人的に手が届かないというよりは、実際に何かをやっている奴らさえも「ごっこ」に過ぎず、誰にとってもあんなのは後追いのダサい幻想だ、と冷ややかな目線で見ていた(インターネットが持て囃せば持て囃すほど)。

ところが、こないだ高校卒業ぶりに会った友人が、平然とこう言ってのけたのだ。

「◯◯寮にいたときは酷かったよ」「タテカン? ああ、作ったなあ」「僕だけじゃない、あいつも、そいつも◯◯寮と関わり合ってたんだ」

挙がる名前はどれも、俺と同郷の旧知の仲で、かつ、進学後は同じ大学にも関わらず全く連絡を取ることのなかった奴ら。俺の中では高校以前の付き合いはそのほとんどが抹消されていて、存在ごと忘れていた……。そいつらが俺の知らない間に、いっぱしの◯大生として日常レベルのディープな生活へ入り込み、文字通りの「おもろい」学生像に重なって生きてきたという。

対して、俺はどうだろう? 電車に揺られながら考える。俺がやった「自由」なんてのは、せいぜい架空のサークルのポスターを二、三枚貼って、傑作のイタズラのつもりでニヤついていたくらいなもんで。あとはもう、ゲーム機やパソコンがあれば誰でもできるような薄っぺらい没頭に全てを託して、ずっと一人で過ごしていたんだ。

思い出が、ほとんどない。けろっと忘れてしまうくらいには、身の伴わなかった◯大生としての季節。あの街の学生として四年間をどっぷり浸かるからこそできたであろう、あんな輝きやこんな汗水を。俺は今になって、あるべき何かを自ら喪失したことに気がついた。

後悔はない。俺は俺なりに何かを考え、ひかる孤独を煮詰めて生きていたから。けれども、奴の回顧を聞いていると、妙にため息が出て、というか、悔しくて。自分が見逃した何かを誰かがちゃっかりモノにしていて、もう取り返しがつかないということへの、行き場のない焦り。

折しも今は、近所の友達が遠くへ遊びに行っていて、まるで学部のあの頃のような孤独の日々。研究室で志望動機をしたためるつまらない土曜日を過ごした俺は、帰り際、何か落ち着かない衝動に心が揺れていた。

何でもいい。元・◯大生でもいいから、ヘンなことがしたい。意味がなく、それゆえ希少であるような、そんなユニークな経験を土産話にできる一日にしたい。

気がつけば俺は家と反対方向に歩き、あてもなく各駅停車に飛び乗っていた。

 

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理由なく乗り換えて、ぼんやりと乗り続けて、名前も知らない駅で降りた。「知らない街を歩く」くらいしか、手頃な ユニークさ を味わえるアイデアが思いつかなかったから。


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無名の駅で降りたとて、東京流の「田舎」は、ほんとうの地方の空の広さや風の鳴き声を思い出させてはくれない。

思えば学部時代に住んでいた、北の山がよく見える川沿いの町は良かったな。当時の俺にとってはあれが大都会であり、同時にのどかな緑だった。共に河川敷を闊歩するおもろい仲間たちは居なかったけど、そのぶん一人でよく歩いたもんだな。独りだったからこそ、煮詰めることのできた寂しさがある。

と、今ここにない昔の記憶に気を取られている時点で、今日の散歩の意義はほとんど失われている。まあなんだ、俺は東京というシンボルは大好きだけど、それは混み入った部分にロマンを感じるのであって、箱のようなビルに囲まれたいかにも四角四面な交差点に興味を惹かれるわけじゃないんだ。


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今宵は満月だ。道路は車で賑やかだけれども、人だかりのできるようなランドマークは見当たらない。そういう意味ではまさに都会流の田舎で、普段よく出かけるところとは風合いが違う。観光地じゃない以上は、何か普通とはテイストの違う、悪くないそぞろ歩きができるかもしれない。


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え?


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スカイツリーじゃね?


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引くほど観光地で笑ってしまった。なんだよ。


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下から見上げるスカイツリーは写真では到底伝えきれないほど高くて、存在感が強くて、そのまま「おっとと」と仰け反りそうになるくらいの迫力で思わず笑ってしまう。嘘。さっきから一度も笑っていない。それに、高いは高いけど、一人でしみじみ見ていると首が曲がるほど高くはない。ただ、倒れてきそうで怖い。感動や興奮よりも、本能的な不安感が頭をもたげる、そんな日本一の電波塔のふもと。

 

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真顔で自撮りを撮っても、スケール感は伝わらなかった。

 

こっから後の写真はない。もう飽きた。俺は来た道を辿って帰る。