916日目 八景島へ行く。ゆかりに会うために。

 

就活帰りの俺は駅のトイレでネクタイを外し、逆方向の電車に飛び乗った。

夕方のシーサイドラインは年季の入ったコースターのように、ゆらゆらとレールの上を滑っていく。

 

人もまばらな平日の八景島

 

駅を出ると向こうには、しずかな湾が広がっている。

遥か反対の岸には砂浜があり、そこまで乗って行けば野鳥を眺めて楽しむことができたかもしれない。けれども、今回はこの駅で降りると決めていた。

 

松林と海の渋い情景に安らぎながら、俺は島へ島へと歩いた。

岳羽ゆかりに会うために。

 

岳羽ゆかりはペルソナ3に登場する同級生の女の子だ。ギャルのような快活さと、心を許した仲間に見せる憎めない冷たさ。そんな彼女はある日、ついに俺――主人公を寮の自室に招いた。ほほえみの中に画面はゆっくりと暗転し、気がつけば放課後は夜へと移ろっていた。寮のロビーに降りると、一足先に戻っていた彼女はまるで何事もなかったかのように、からりとした笑顔で俺を見据えた。

コントローラを握り締めながら、俺は「やられた」と思った。すっかりゆかりの虜になっていた。ペルソナシリーズを5、4、3とプレイする中で「可愛い」と思った女の子は他にもたくさんいた。けれども「好きだ」と強く思ったのは初めてだった。くらくらしながら俺は、そうか、これが愛なのか、とため息をついた。

 

八景島シーパラダイスは水族館とアトラクションで構成される海浜公園だ。関東の沿岸部の人工島という、まさにおあつらえ向きなこの場所で、ちょうどペルソナ3リロードのコラボイベントが開かれている最中だった。

 

まばらに人の乗ったアトラクションが、ゆらゆら揺れる。横浜の名を冠するレジャー施設にしては、いたく寂しい印象を受ける。けれどもそれが却って、近未来的なフィクションとの境目を曖昧に融合させているように感じさせた。

 

クレープ屋の黒い壁に、コラボメニューの告知が無造作に貼られている。その中に、ゆかりの姿があった。

 

ゆかりのいちごクレープ。ずっしりと重たいそれを手に持ち、通りのカップルに背を向けてテーブルにつく俺。

 

書類の束が入ったリュックを背負い、歩きにくい革靴を履いたまま一人で食べるクレープは甘かった。ミニマムなウエハースのゆかりが機嫌よく微笑んでいる。なんて甘ったるく、心安らぐ金曜日。

 

ふと足元を見ると、すずめが至近距離でクレープを狙っている。

 

あれよあれよという間にたくさんのすずめが集まってきた。上空にはからすやとんびも羽を広げている。思わぬ形で、野鳥を近くで見たいという希望が叶った。わざわざ野鳥公園駅まで行かずとも、海のそばにはたくさんの鳥がいるんだ。

 

そういえば、クレープのおまけで一枚のカードをもらっていた。ペルソナ3に登場する10人の仲間たちのペルソナの中から、ランダムで1体が入っているという。どのみち気楽な運試しだ。誰が出たって驚かない。

 

なっ……ゆかりのペルソナ、イオ?

ゆかり。やっぱり君も、俺のことが……。

 

クレープが入ったお腹とちょっと疲れた脚で、辺りをうろつくことにした。あちらこちらで、等身大ボードの仲間たちが出迎えてくれる。

 

順平。

桐城先輩。細かった。

文字のモニュメントもある。

散策するうちに、いつしか水族館は閉まってしまった。もとより、海の生き物を見に来たわけではないので構わない。世の中には、架空の女性と野鳥に会うために水族館リゾートに遊びに来る人間もいる。

グッズにも実用性を求めてしまうオタクは、クリアファイルをよく買う。

砂浜でシャトルランをしているタイプの鳥だ。

ポロニアンモールじゃないか。

それから俺は空が暗くなるまで、公園じゅうをねりねり歩いた。

荒垣先輩。

けれども、ついぞゆかりの姿を見つけることはできなかった。夜が降りて従業員も居なくなった静かなシーパラダイスの中を、コツコツと靴音を鳴らして帰路に就く。

でも、俺は満ち足りていた。たとえ姿かたちが見えず、会うことができなかったとしても。真に愛しいと思う、祈りのような感情を通じて、ゆかりと俺はつながっているような気がした。どこか遠くの架空の人工島にいるゆかりと、八景島に一人たたずむ俺とが、この近未来的な静寂の夜を共有していて。きっと俺たちはすぐそばに居る。作られた偶像の、まやかしの女子高生であるゆかりが、確かな存在感を伴うひとときの思い出として、俺の胸の中に。


ゆかり。会えてよかった。ありがとう。

 

 

 

このあと、友人とエンカしてカレーを食べて帰りました。