938日目 くよくよ

 

正解の言葉をかけてあげられたか分からない。どこまでいっても結局他人のことはヒトゴトで、俺が何を言ったって大局は変わらない、なんてのは軽薄で都合のいい独り言かもしれない。願わくば気にしてくれるな、なんて祈ればその通りになるほど、誰もが良い意味での傍若無人さを身につけているわけじゃない。俺の意見は友に対して責を負わず、しかしだからこそ、それがどう伝わって何を損ねたのか、推し量ることはついぞできない。帰りにひとり牛丼を食いながらくよくよやっても、冴えた答えは出てこない。結局辿り着くところは「祈り」だ。無責任で、ずるかったとしても、どうか彼にとって良くあれと望み、同時にそれが俺にとって良くあれと願うことしか、俺には。だから遡って考えれば、俺がやるべきことは一つで、そのとき最も誠実だと思ったことを口にし、誤解のないように伝えるというただそれだけなのだ。だから言おう。

水着イベの頻度が高いのは、露出が多い方が人が喜ぶからなんですよ。