654日目 脳内反省会はオールナイトニッポンのように

 

研究室で徹夜をすると息巻く同級生。彼は下級生の演習のTAを努めていて、明日の早朝に受講者の応援に出るべく、今夜は大学に居残るつもりらしい。

さらには、差し入れをするために買い物に行こうかと検討しているそうだ。彼は言う。

武蔵小山に買い出し行かん? てか、今日残らん?」

うーん……ムサコか。ムサコは遠い(し、俺はTAではない)。

徹夜もなあ……俺は普通に、シャワーでサッパリして、慣れたベッドで寝たい(し、俺はTAではない)。

結局、俺はうまいことネタっぽく誤魔化して、誘いを断った。いや、うまくはなかったかもしれない。

彼は「え~」と大げさに言ってみせたが、強く引き留める様子はなかった。

 

今日は他にも、いろいろな会話があった。

旅程の話題から、お金の話へと寄っていく。俺は貯金も無いし、旅行のために金を殖やす欲もない。だから、興味の湧かない豪遊には首を縦に振れない。

Webテストの手伝いの話。俺は陽気な研究同期たちを気に入っているが、心を許して何でも手伝うほどではない。「嫌だ」とは言わないが、曖昧に笑って視線を逸らす。

 

そんなことばかりだ。

俺は不味いことは言っていないし、いつも「余計なことを言わなかったか」という反省を欠かさない。しかしどうしても、自分のペースを譲ることだけは出来ない。

もしかすると相手は、やんわりと拒絶されたかのような気持ちになっているかもしれない。……いや、そうじゃないんだ。俺はちょっと都合がつかないだけであって、お前らと協調したくないわけじゃない。今日はたまたまなんだ。……だが、そこで「じゃあ一緒に行こうぜ」と言われると、俺はYESと言えない。

どんなに面倒なことでも誰かと一緒にやれば楽しいと思えるような、そんなオープンな心を俺は持っていないんだ。「同僚」の域を超えず、マブになることができないお前らに対しては。

 

今日は満足にモノを食べ、タスクも無事にこなして、決して悪くはない日だったはず。だが、どうも他人への受け答えが下手だった気がして落ち込む。

自分は軽薄な人間なのではないかと、仮にそうでなかったとしてもそう思われてはいるだろうと、不安と弁解の気持ちに駆られる。

もしかすると、向こうは特に気にも留めていないかもしれない。……だが一方で、明確に「あっ、俺らには興味がないんだな」と誤解され、無意識のうちに親愛度ティアを下げられているということも、あり得ない話ではない。頼む、勘弁してくれ。俺は適度に好かれてはいたいんだよ。

 

と、ここまで書いたところで一瞬目を閉じ、すぐにまた開く。

……驚いた。

気がつけば、俺は床に寝ていた。パソコンはスリープしていた。時計をみると、とっくに日が回っている。つまり、俺は日記を書いている最中に、急に一時間以上の睡眠に陥ったことになる。

なんだ、なんだ俺。疲れていたのか、今日は。じゃあ、多少元気がなくたって仕方がないじゃないか。なあ?

 

……そんなことはもちろんない。コミュニケーションの悩みは時価ではない。仮に毎日十時間も寝ていようが、俺は同じ悩みを抱える。

一旦シャワーを浴びに立ち上がり、体を温めてから、また書き始める。

 

コミュニケーションの手法として、というよりは話し方のクセとして懸念していることがある。俺の脳はちょっと突飛なところがあって、現在の会話内容からはほとんど関係のないところに、よく思考がスワップする。もしくは、本筋に載らない些細な思いや気づきが、ポッと口から出てしまうことがある。

端から俺のことを「変な奴」と思っている人と話す分には、全く問題がない。特に、ツイッター的な環境——種々雑多なコンテンツの話題が入り乱れる環境——に慣れている人ならば、急に話題が変わる事なんて大して気にしないだろう。高校同期のグループに関しては、俺がころころと話題を変えるのをいいことに、通話の進行役を担わせてすらいる。たまに無意識に「エロッ」と口走ったあと「俺って頭おかしいな」と心配になることもあるが、まあ意識すまい。

 

ただし、問題はリアルのコミュニケーションである。特に、俺から見たときの「常識人」である、研究室のメンバーとの会話。ここでは俺も、平時のアホみたいなノリを潜め、常識的な話者として振舞おうとする。……だが、話し方のクセはどうしてもカバーできない。

特に、喋りの調子が良くなってきた時ほど危ない。絶妙な静寂に「ハッ」とする。周りはネット民ではない、陽キャ男および女子校上がりたちである。「なんかコイツ、急に全然違う話になったな……」「めっちゃ感想言うじゃん……」と思われているかもしれない。そういう視線を(勝手に)感じるたび、俺の不安はぶり返し、にへらと笑って口を噤む。

 

それから、もうひとつ。女子との会話への不安について。

先に言っておくと、俺は異性と全く会話が成立しないほどのコミュ障ではない。これでも共学出身である。高校の部活では一個下の女の子たちと親しくしたときもあった(なお、精神年齢は彼女らの方が高いので、ナメられていた)。だから、話した経験自体は少なからずあるし、女子と喋ると即座に色目を使うような、不慣れな陰キャくんとはさすがに違うはずだと思いたい。

……だが、それはそれとして、ここ2~3年の非対面生活と引きこもり趣味のせいで、長らく同年代の女の子とのコミュニケーションが無かったことは事実である。ブランクは否めない。というか、元々俺は結構、無理して世間話をしていたんだな! ということを思い出してきた。

 

工学系の大学では珍しいことに、うちの研究室には女子が多い。当然、男しかいない空間と比べて、雑談に華がある。快活な人が多いので、俺も気分が乗ってきて、流れでボケてみたり、逆にツッコんでみたりする。しかし、そういう「気分の良い」ときにこそ、俺の脳内にはどろどろの不安が回り始める。

例えば、向こうで「あはは……」と笑っている後輩の子が、実は引きつり笑いをしていて、もしかして俺は引かれているんじゃないかと疑う。何か、自分では気づかないような不味いクセがあって、密かに「色目を使うキモ男」と評価が固められていたりしたらどうしよう。

無論、そういう評価は心外である。……心外であるが、世で「陰キャくん」がどのように扱われているかは存じているし、近頃の男女平等・ジェンダーフリーの流れに自分が上手く乗れているかは自信がない(ヒトである以上、同性との接触と異性との接触とでどうしても態度が変わるのは避けられない)。だから、実際にどう思われているかは別として、自分としては心配でたまらない。

脳内反省会はオールナイトニッポンのように、いつでも[終]することはない。

 

「思春期 いつまで」と検索したところ、大体8歳から18歳くらいまでだという回答が得られた。

だとすると、22にもなって「人との喋り方に自信がない……」なんて言っている、この俺のナイーブさは何なのであろうか。