685日目 だからネイルを塗ってみた

 

 

その日、俺はヤツと飲んでいた。

曇り空のトーンが徐々に落ちていって、夜を迎える街。

通りの向こうから颯爽と現れたヤツは、あの頃と変わらない、野心に満ちた瞳をギラギラさせていた。

俺たちは合うや否や、互いに確認するでもなく、すぐそこの角の中華屋の暖簾をくぐった。

 

ハイボール行きますわ。何飲みます?」

「そうだな、俺は……。青島ビールで」

「チンタオ? そんな薄いの飲むタチでしたっけ」

「はは。まあ、歳だからよ」

「何すか、それ笑」

ヤツが口の端を上げる。かつてのままの、若さゆえの、社会への挑発。

対する俺は、ここ数年ですっかり枯れ果てたように思う。渇いたニヒルな声が、喉の奥から浸み出す。

「ははっ……。ったく、お前はチンピラのときのままだな」

「当たり前じゃないすか。おれはずっとアンタを追いかけてんすよ」

ギラつく素直な瞳に見つめ通されて、俺はたじろぐ。ついつい、言い訳が漏れる。

「おいおい、やめろよ。俺なんかもう、この通り、コースを外れた負け犬だってのによ……」

それを聞くや否や、ヤツは間髪を入れずに。力を込めて、こう言った。

 

「諦めたんすか?」

 

「え?」

「夢はどうしたんすか」

「へっ。何カッコつけて……」

。あったっしょ」

「……ああ」

 

……。

 

 

 

 

 

 

……あんなのは。

「あんなのは、もう忘れたさ」

「へえ」

ヤツは気のない返事をすると、ハイボールをぐいっと呷って飲み干し、立ち上がった。

そして振り返り、

「アンタが忘れても、おれはまだ追いかけてるっすよ。ネイリストの道に挑む、アンタの背中を」

ヤツは焚きつけるように、擦れた俺を侮蔑するかのように、そう吐き捨てた。

 

立ち去っていくヤツの背中に、俺は何も言えやしなかった。

 

 

 

一人で歩く帰り道。足元がふらつくのが、無性にむしゃくしゃする。

「くそっ。あんなヤツ、何を偉そうに」

アスファルトを踏みつけるように音を立てて歩く。俺の虚勢は見え見えだった。

心の底では、よく分かっていた。ヤツの生意気な魂胆が。そして悔しくも、それに乗せられようとしている俺の、まだ衰えることのない若さが。

「……、ね」

 

 

 

 

散らかった小箱の底から、数年来に取り出す、俺の武器。懐かしい。

……そうだ、この気持ち。どうにでもなるという、舐めクサった野心。

 

あるいは、今なら。今こそ。

 

 

ベースコートを手前から指先へ、滑らせるように塗る。

手に馴染んだ所作。気がつけば、酒の震えは収まっていた。

 

 

ぷっくりと、色づく果実のように、レモンエロウのポリッシュを落として、延ばす。

不格好な丸い爪の上に広げる、黄色のキャンバス。

 

「————ふう」

さあ、舞台は整った。

ブラシに黒のポリッシュを浸して、慎重に持ち上げる。

 

今こそ、叶え。

全身全霊の、最高のネイルを。

 

 

 

 

 

 

 

 

アハハハハハハハハハハwwwwwwwwwwwwww

 

 

ッッヒwwwwwwwwwwwwww酷いwwwwwwwwwww前より下手じゃねーかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwッハwwwwwwwヒwwwちょっと待って腹痛いwwwww

 

 

 

後で塗りなおしました