645日目 じゃあ、聴けばいいんじゃね。最近のボカロを。 - きりちにの日記、きりちにっき
647日目 じゃあさ、聴こうや。最近のアニソンを。 - きりちにの日記、きりちにっき
651日目 じゃあ、聴かせろよ。最近のハードスタイルってヤツを! - きりちにの日記、きりちにっき
はてさて、今回もフォロワーの持ち込み企画。……ではないのですが、これまでの私のシリーズを念頭に置いてオススメ音楽の紹介日記を書いてくれた友人がいたので、今日は勝手に引用して感想大会をしようと思います。
ということで、聴きましょう。今アチアチなオルタナの世界!
※便宜上「オルタナ」とタイトルにつけましたが、実際はいろいろなジャンルに分かれているそうです。あと、言うほど最新でもないですね。
カネコアヤノ - タオルケットは穏やかな
あ、オルタナっぽい。ギターに次ぐギター、その重層的で厚みのある交錯のことをオルタナと呼ぶと、私は解釈しています。それと、遠くから気のままに投げ出したような、マスキュリンな女声のメロディ。
MVも相まって、レトロな風合い。重なり合うノイズのような和音が、今朝がたの夢のような。目覚めたあとの、思い出せないけれども何か懐かしい夢を見た、そんな心地が。
揺らぎ - soon
すぅっ……と高い空で小さく鳴くようなボーカルと、マッシブに追って来るベース、シンプルさの中に信頼感を漲らせるドラム。起伏とは対極にある、ずっと何かを持ち上げ続けているような、どっとした疲れと共に勇気が満ちてくるような、そんな歌。
聞き取れない歌詞のどこかに、私を励ますメロディが込められているはず。
buzzG - Fairytale,
今回のプレイリストの中では異色の、ボカロ曲。どこに所在を求めていいか分からないけれど、この歌には「青春バンド」のエッセンスが込められている、そんな気がする。
MVのアニメーションにて繰り広げられるは、明るく前向きながらも苦みのある、叶わなかった恋の物語(たぶん)。……今回は耳に集中しながら書いているので、委細のほどは分かりませんでしたが、どうやら失恋という普遍的テーマが綴られているところに、溢れんばかりの「青春」感の理由があるらしい。
ASIAN KUNG-FU GENERATION - ソラニン
映画『ソラニン』。懐かしいなあ。これもコイツに勧められて、大学1年の初春だったか、孤独と退廃に陥り始めた時期に観たんだった。中身についてはここでは触れない。ただ、若い僕らが命を懸けて生を歌う、そのメッセージにキュッと胸を締め付けられたことだけはハッキリと憶えている。素晴らしく心を打たれる映画である。
しかしまた、それと同時に、ソラニンが描く「僕ら」の中に僕自身は居ない――つまり、僕の身には彼らのような「熱」や「青春」や「必死さ」がない――ということに気づき、この感動は僕にとってはまやかしなのか? どのように受容していいのか? と、強い戸惑いを覚えもしたのだった。
青葉市子 - 月の丘
ポロン、ポロンと一人ギターをはじきながら、ささやくように歌いかける……懐かしい思い出の中にいるあなたへ向けて。
仮に僕が破局を迎え、昼下がりの孤独に打ち震えているとしたら、この音楽に涙を流すだろう。……そう思ってしまう。今の自分にとって捧げられたものではない、と思ってしまう。どうしてだろう? こんなにも琴線に触れるメロディなのに。
初見の感触は最高。非常に好きだ。ここまでのプレイリストの中では、とりわけポップでノリの良いリズム感が際立っている。単に「オルタナ」というよりは「オルタナティブ・ロック」と呼んだ方がふさわしいか。何やら「ゲスの極み乙女。」に近いメンタリティを感じる。
明るい音楽というのは、真に耳を傾けてほしいときの相手にはならない。だが、箸休めにはふさわしい相棒だ。
くるり - ばらの花
何だろうなあ。欠損? ……いや、音楽の欠損ではない。俺の欠損。俺の人生には、年頃の多くの青年にあるべき大事な経験のひとつが、抜け落ちている気がして。
「『ばらの花』は温かくも切ない歌だ」というのが、俺の理性による判断。——経験に裏打ちされない、空虚な理解。たまに思うんだ。この世の音楽は、一度自らを肩まで「失恋」の沼に沈めた人にしか分からない味わいで出来ているのではないかと。
ラブリーサマーちゃん - あなたは煙草 私はシャボン
チャレンジングなアーティストネーム、顕示的なMV。まあ、そんな部分は表層に過ぎません。音は目ではなく、耳に届くものです。聴きましょう。
……すみません、あんまり身が入りませんでした。そういうこともあります。
ブランデー戦記 - Musica
どこにあるんだと思う? どこにある?
何なんだよ。何なんだよな。
歌はカッコよくて、MVは瑞々しくて。それが何だか、遠くに思える。ここにはない。俺の手のひらの中にはない。なぜ?
「私に無いのは人生経験と……」という歌詞が沁み込まない俺がいる。だってそんな、人生経験がないと歌っている彼らの爽やかな「経験」が、俺には無いから。
何だってんだ。俺は、オルタナの歌い手が実はスレていなかったという事実に、嫉妬しているのか?
羊文学
……ということで、この麗らかで長いセッションを聴きながらエンディングです。
思い返せば、私が初めてオルタナに触れたのは、大学1年の夏のことでした。その「きのこ帝国」を教えてくれたのも、他でもない、今日のプレイリストを紹介してくれた彼です。
心地よく耳を搔き乱す、ノイズが折り重なるようなギターの和音。投げつけ、叫び、自らの喉にガラスを突き刺すようなメッセージ。ええ、とても気に入りました。人気のない実習室で夜通し手を動かしながら、自由と孤独に浸る気持ちで、何度も何度も聴きました。
やがて、私は「きのこ帝国」を聴かなくなりました。代わりに、よりカジュアルなオルタナティブ・ロックや、また別の音楽に遷っていきました。……ですから、オルタナに特有の温度感は私にとって「懐かしい」ものであり、あの頃のまだ初々しい学生だった時分を想い起こさせるトリガーなのです。
今日、この美しく汚いプレイリストを聴きながら、気づいたことがひとつ。
心が叫んでいる音楽は、真剣で、大真面目で、その真面目さに浸りきっている人にこそ響くのだということ。
つまり、何だかね、つつかれているのですよ。「今のお前は、18歳の頃のお前ほど真剣に生きてるのか?」って、つつかれたような気がしたのですよ。
分かった気になったんじゃねえぞって。キレイゴトみたいな、ありもしない青春を、本気で「ある」ようにやったことがあんのかよって。言われている。
だから、今、どの曲が良かったというよりは、何だか、包括的に、痛いです。ツキツキします。漠然と、悔しい。
――――
幸いなことに、今聴いている羊文学のロックは比較的軽快で明るいものなので、気分が落ち着いてきております。
すごいなあ、オルタナって。何かこう、引っ張り出す力があるんだよな。薬のフラッシュバックみてえだ。
ということで、友人が紹介してくれたオルタナを聴く回でした!
今の私は「テレキャスター・ストライプ」あたりを楽しく感じましたが、このむにゃむにゃしたものをじっくり味わうならば、実際「月の丘」あたりから入った方が面白いかもしれませんね。
んじゃ、GOOD NIGHT...