10:12
目黒線に揺られている。ほんとうに誰の迷惑にもならない、いくら途中下車しようが寄り道しようが構わない一人っきりの日こそ、ぼくはお腹が痛かろうがなんだろうが迷わず電車に乗れる。ほうら、お出ましだ。
10:25
山手線。外回りか内回りか、どっちがどっちだったか未だによくわからない。業務用の呼称、という感じがする。
時計回り(おそらく外回り)に乗っていると、ずっとゆるやかな右カーブが続くような気がする。が、実は違うらしい。
どちら回りだろうが、かなり小刻みに左右に振れている。
欺瞞、ということを思う。
10:37
下を向いて文字を追っているうちに、はっと顔を上げると、電車は遥か彼方へぼくを連れてきている。
無尽蔵の情報がこぼれ出るこの小さな液晶が、ぼくから旅情を奪った。
10:53
引くほどデカい。
さすがに水曜の午前は、ほとんど人がいない。
11:12
めちゃくちゃかわいいミクのぬいぐるみ。しかも、ウィンドーに向けて白いパンツを見せつけている。
だが、試しの一回でビクともしなかったので、やめた。
諦めることを覚えて、人は賢くなる。
11:32
ブックオフに行けば、些細な欲望はちょっとの金で買えてしまうとわかる。
だからこそ、何も欲しくなくなってしまう、そんな心もある。
11:56
(多大な出費と、店員のお姉さんに「お手伝いします!」される屈辱を飲んで)取れた。
いやいや、ついさっき「諦めることを覚える」「ブックオフに行けば手に入る」などと言ったばかりではないか。これによって、今夜横浜スタジアムに行く計画は露と消えた。
……だが、お姉さんと仲良くなり「ミクちゃんかわいいですね〜」と合意を形成できたのは嬉しい。せめてお姉さんの、今日一日の長い仕事に、わずかでも楽しみを添えられたなら、と思う。
だから、存外悪くない気分で外へ出た。これからジュンク堂へ向かう。
12:17
7階、理工系。「まちづくり」の棚。
驚くほど、心臓に「キュッ」と来るものがない。計画、政策、地域、コミュニティ、史、論、なんやかやと、パッケージドな都市学の本の数々に、全くといって良いほど食指が伸びない。
じゃあ、この分野を専攻しているのは間違いなんじゃないか? と思う。そうかもしれない。たとえ都市の様態やメカニズムがなんとなく好きだったとしても、それすなわち都市「学」が好きだということにはならない。
そもそも「学」とは、一部のヒトだけが偏愛する特異な行動なのではないか? なんて、黙って空を見つめるしかない日もある。動物だから。
12:34
地理の棚にいる。地図や鉄道といったものはそこそこ好きで、気になる本がちょこちょことある。体系づけられた「学」よりも、マニアらしさが染み出したような本の方が、その深淵に心を引き込まれてみたくなるものだ。
だが、専門書は安い買い物ではない。ひとまず下の階まで見に行ってから考えよう。
……食事とゲーセンにはいくらでも溶かしているくせにね。
12:53
ぼくは激情を募らせることがない穏やかな性格なのではなく、湧き上がる怒りや嫉妬をうまく誤魔化して無かったことにするのに慣れすぎている。のだということに気づいた。
渦巻く負の感情は人並みにある、と思う。一見「気にしてしないフリ」を装う人間の方が、却って実はすごく「気にしすぎている」、ということだってあり得る。
だから、クリエイティブの本のコーナーには長居しない。敵前逃亡者に特有の怨嗟の唸り声が、溢れ出しそうになるから。
13:23
いやあ、ダメだ。無理だ。すまない。俺はブックオフに行く。
書店で新品の本を買わず、中古業者の安売りに靡くことが、いかに書店や作家のためにならない判断であるかは分かっていつつも。ミクちゃんにじゅるじゅると財布の隅々まで吸われてしまった今、無い袖は振れない。
今度必ず舞い戻る。ちゃんと紙幣を揃えて、楽しい本選びの旅に戻ってくるから。今日はケチな俺を許してくれ、ジュンク堂。
13:37
13:41
肉と脂だけの暴力的なバーガーにもたれつつ、人が増えてきた池袋の往来を眺めている。
ひとりで街を楽しむって、一体どうやるんだったっけ。
ところで、今日は給与振込日のはずなのに、いつまで経っても残高の数字が増えない。銀行のアプリを朝から何十回と確認しては、その度にため息をついている。……なんと浅ましい人間だろう。
14:40
上手い。
振込の件はどうやら手続きが遅れているらしく、決算が届いてすらいないらしい。一人暮らし学生にとっては生活に直結するお金なので、キレそ〜〜〜〜〜〜! になるが、事務のおばさん達も忙しいんだろうなあ……と思いを馳せて、心を落ち着けよう。
そうすればほら、池袋の道は賑やかに晴れている。
それじゃ、乗ったことのない「埼京線」という路線で、次の街へと赴こう。
15:15
下北沢。事前情報は何もない。歩いてみるしかない。
15:18
無数のアンティークなシャツショップ。一点ものの個性的なお店ばかり。そういう街か……。
15:47
なんだ。なんだよ。なんだってんだ。
一人じゃ悪いのかよ。
15:59
大切な人がいなくなった世界のことを考える。
ひとりぼっち。
生きている限り永遠の、孤独。
寂しさを埋めたくて。……同時に、埋めてしまいたくない、という思いも。
ひとり心の中に沈んで揺れている月面の岩をそっと抱えて、そうとは知らぬのどかな夕方の街の中を、レモネードを片手に、歩く。
16:28
下北沢から遠く歩いて、三軒茶屋から電車に乗る。
液晶を開くと、朝から続く出来事の羅列が、時刻とともに並んで現れる。パッケージ化された一人の陰気な男子学生の一日を、興味もないのにだらだらと読む、ただそれだけの作業。
つまり要するに、一人の人間の一日には多くの出来事と、起伏に富んだ感情があって。
そして、それは他の百人千人にとって、ものすごくどうでもいい些細なことでしかないんだ。