559日目 【書評】教科書名短篇 科学随筆集

 

 

 かつて目覚ましい自然科学の業績を上げながら「人間は考える葦である」という名言を残したパスカルがそうであったように、名科学者というのは往々にして哲学にも秀でているものです。類まれなる科学の才を持つからこそ、それを以てしても説明できない現象に対面したとき、掴みどころのない自然をどのように捉えるべきかという人生哲学を考える。あるいは、思索と実験に耽る日々において事実をじっと見つめる力を養っているからこそ、時局に揺れ動く世間に対して冷静な思想的示唆を投げかけることも可能でありましょう。

 本書『教科書名短篇 科学随筆集』は、寺田寅彦湯川秀樹といった物理学者を始めとする、優れた科学者でありながら名文家でもあった先達の短い随筆を収めたものです。

 

 さまざまに面白い随筆がありますが、ここでは寺田寅彦の『科学者とあたま』をご紹介しましょう。

「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」。(中略)しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはり本当である。

(中略)この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧不鮮明から生れることは勿論である」

 興味を惹くパラドックスな命題の提示と、それに対するいかにも理論学者らしい指摘から始まるこの短篇。寺田寅彦は「あたま」のいい人と「あたま」の悪い人それぞれの特質について、時にさまざまな上手い喩えを使いながら解説し、頭のいい人に対して考え方の転回を投げかけます。

 曰く、

「いわゆる頭のいい人は、云わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない処へ行き着くことも出来る代りに、途中の道傍あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人、足ののろい人がずっと後からおくれて来て訳もなくその大事な宝物を拾って行く場合がある」

 このとき寺田の言う「頭の悪い人」とは無論、頭の働きが悪いというのではありません。容易に分かりそうなことを敢えて呑み込まず、常に疑問を抱いて考えに耽ろうとする用意がある人のことを指しています。科学者たるもの、何でもすぐに理解した気になって足早に進んでしまうのではなく、敢えて立ち止まって観察と分析をし直すことこそが大事であると、そう寺田は指摘するのです。

 本随筆の魅力は巧みな筆運びにもあります。評論文で見るような事実に基づく解説にも富んでいますが、個人的にはやはり、比喩の部分が面白いように感じます。

「頭のいい人には恋が出来ない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである」

 これを金言と言わずして何と言いましょうか。

 

 このように示唆的な面に長けた随筆も多いですが、一方で必ずしもそうした思想的な文章ばかりが収められているわけではありません。日常の中にある科学的な発見や純粋な驚きなんかを描いた素朴なエッセイも、本書には多数収録されています。

 動物行動学者である日髙敏隆が幼少期からの原初の観察経験を振り返った『チョウの飛ぶ道』などは、特に読み物としての魅力に溢れていますよ。戦前の日髙少年が自宅の近所を飛ぶチョウの道筋がいつも同じであることに気づくところから、戦後の日髙青年が仲間とともに立派な実験を施し、チョウの飛び方を決める或る意外な要素を喜ばしく発見するところまで。身近な体験から科学的発見へと繋がっていくエピソードは、こと理系の読者ほど素敵に感じる部分であるかもしれませんね。