1061日目 阿呆新世界

 

陽の者って本当にすごいんですよ。偉いんです。まさに太陽の者。

うちの研究室は工業系単科大には珍しい社会学系のコミュニティで、当然ながら構成員はコミュ力高め、男女も半々という空間です。そこで今日はどういう流れだったか、ゼミ後にそのまま研究室でビールを飲み始めて、なんとなく飲み会という流れになったんですよ。

俺の代に数人いるうち、俺が最も内向的なオタク気質で、他はみんな明るく社交的な連中です。すごいんですよ。就活連戦連勝・業界トップ総取りみたいな陽の学生の凄味って分かりますか。内向きの努力と外向きの努力、両方を欠かさないんです。内向きとは、自分の修士研究とか、就活に活かすための自己研鑽とか、大きな目標を達成するために勉強もバイトも頑張るとか。外向きとはつまり、同じ集団の中の落ちこぼれを見捨てず、頼まれてもいないのにキャリーして、全員が輝くチームを作っていくことに余念がない。

「毎日バイトの後に夜まで研究すればなんとかなるっす」とか、そう簡単に言えますか? 俺は言えない。先輩も同級生も後輩も、何代も続くエリート研究室メンバーが(表向きはテキトーなフリを装いつつも)内心の真面目さや勤勉さが隠せない情熱色の飲みトークをしている中で、たった一人、平日の夜中越えて朝方までだらだらとヨダレをこぼしながらゲーム配信を観ていた消極の極み陰キャたる俺には、何も言えない。

長らくツイッターの世論を信じ込んできて、例えば「一緒にいて居心地のいい人とだけ付き合えばいい」とか「フルタイム働けばへとへとなのは当たり前。大切なのは心の余裕とめいっぱいのダラダラ時間」とか、そういう耳触りの良い「総意」に救われて俺は気ままな引きこもり気味の大学生活をやってきたけれども、院生になって、ひょんなことから優秀な集団の末席に籍を置いてしまって思い知りました。これが「格の違い」ってやつです。ツイッターで管を巻き優しくしてくれる陰キャたちとは一線を画す、遥かにバイタリティに溢れた徳の高い太陽の者の世界があるんです。

格上の奴らと見比べたってしょうがない、と肩を叩いてくれる同志もきっとあるでしょう。しかし、同じコミュニティのメンバーという関係性、同じ志望企業の枠を争うライバルという間柄で過ごさねばならぬ修士の二年間の中で、どうしても俺は間抜けで、劣り、何度も何度も席を譲ってきた、そういう繰り返しをやってきた今、どうしても俺の目に映る「若人」の世界標準は彼らの方に引き上げられて、どうしても俺は、特に大きな野望も抱かず周りに流されるように院進した俺は、欠けた熱意を誤魔化して憧れだけで就活をやって案の定敗北を喫した俺は、バイトだけですっかり達成感に浸ってロクに研究も進めず美少女ソシャゲとエッチなイラストを眺めて一日を終える俺は、惨めだ。どうしようもなく。改善の見込みもやる気もないことまで含めて。

 

けれども、今日飲みながら話していて嬉しかったこともあって。僕は大学のある時期から「自分はダサいのではないか?」ということを真剣に考え始めて、無難で傷のないモノトーンを初めとする単色ファッションの基本を押さえることに始まり、そのうちモブ感を脱するためにキャップやシューズやワンポイントで遊ぶことを覚え、最近はカラーコーディネートを意識しながら異国風のモチーフを取り入れてキレイめにふざけるということを自分流で楽しんできました。それでも髪いじりやヘアケアなどにはまるで意識が向いておらず、いつも「キモかったらどうしよう」とビクビクしながら生きていたのですが、それが意外にもある程度の水準には達していたらしくて、普通にオシャレでイケてる、少なくとも工業系大学生の中ではかなりいろいろ工夫している方、と男女問わず多数から好評の声をもらったのです。多少のヨイショを勘案しても、なかなか悪くない反応だったと言っていいでしょう。

それになんと、あの陽の者らすらも、俺は全然そんなとこまで気が回ってないわ、すごいなあんた、と感心してくれたのです。確かにそう言われてみれば、彼らはいつも凛々しくて小綺麗に見えるけれど、その実そこそこシンプルな服装に身を包んでいることが多くて、少なくとも「遊び」の段階まで進んではいない。そこにあって俺には確かに一日の長があるわけでした。

自分のいろいろ考えて来たことがそこそこ結実していたことに嬉しいと思うと共に、やはりここに至っても、嫌味がなく清廉な陽の者たちへのリスペクトを改めて抱かずにはいられない。あるいは自尊心を守るための防衛機構なのかもしれないけれど、そうだとしたって構わない。奴らはすごいんです。真面目で、素直で、社交的で、ちょっぴりズルいところはあるけれど、それすらも彼らにとってのひたむきさで、太陽は彼らに向かって差している、その全てが。

眩しい彼らと時間を共にした日の夜は、一人シャワーを浴びながらひどく鬱な気持ちになります(毎週のように)。光あるところには影がある。格の高い人間がほとばしらせるいっぱいの光を浴びて、そのぶん自分の影を暗く濃くして、惨めな気持ちになりつつも、それでもなんとか前を向いて気さくな彼らとの明るい交流を楽しんで、そんな調子で修士二年目の毎日も進んでいきます。