1066日目 リーガルトランス

 

プレッシャーでぽんぺがキツいのだ。惨めな人生なのだ。という日記を書いたところ、有識者から心療内科をおすすめしてもらった。

「心療」とか「精神」とかいう言葉には何か、一歩踏み越えてしまうようなためらいを覚えるのだが、とはいえ何事も勢いが大事である。さっそくクリニックで診察を受けてみたら、あっさりと薬が処方された。

デスクチェアに腰掛けて、錠剤をひとつぶ手に取る。「精神安定剤」と呼ばれる薬である。束の間の逡巡。意を決して、一息に飲んだ。効き始める時間を見計らって、電車に乗って出かけてみようと思う。

 

不安が、欠けた。

いつもと同じように、胃腸が張っている感覚はある。お腹が張ってたら不安だよなと、頭では理解できる。だが、心がレセプトしない。居ても立っても居られないような、あの焦燥感が欠片もなくて、ぽっかりと穴が空いている。

飲食に強くブレーキがかかるあの感覚が消えて、どうとでもなるさ、というふわふわした精神状態。駅を出てまず向かったのは定食屋だった。旨い。味に集中できる。万一胃腸が苦しくなっても、ごちそうさましてからお手洗いに行けばいい話だ。

黙々と平らげて、なんとは無しに口を拭いたら、それは紙ナプキンではなく伝票だった。そこではたと気づく。判断が曖昧になっている。例えるなら、アルコールを摂取したときの浮遊感に近い。しかし頭は冴えている。冴えているのに、俺は浮かんでいる。

思考能力を測るべくゲームセンターに来たが、上手い回も下手な回もあり、有意な違いはあまり感じられない。ただ、頭蓋の中の大きな体積を「どうでもいい」という穏やかな感情が占めている。

 

次第に疑義が浮上しないわけでもない。いま帰りの電車に揺られながら抱えているこの鈍麻した感情は、知っている感覚になぞらえれば疲労感に近い。

冷静に考えれば(真に冷静かはひとまず置いておくとして)、初診で処方される薬が魔法のように強力なものであるはずはないだろう。緊張ではなく弛緩、これはほんとうのものだが、果たしてこの奥底にあるものは、不安、ではないのか? 不安とはなんだったか。普段悩まされている不安感は、どれほどのものだったか。忘れてしまった。

飲む前と後とで、俺の精神に断絶はない。しかし、何かが確かに欠落した。ふと車内のパネルを見上げると、いつの間にか最寄りのすぐ近くまで来ている。何の苦もなく、深呼吸の中でトランスに導かれたときのように、俺はつとめて平静で、まるで僧になった気分だ。無論、どこまでが精神安定剤の効き目で、どこからがプラセボかは分からない。

 

最寄りに着いて、ぬるりと電車を降りた。このままずっと彷徨ってしまってもいい気分だが、先生は早寝早起きの習慣をつけることが大事だと言っていたっけ。それならぼちぼち切り上げて帰ろう。

夜なのに汗ばむ暑さだ。街にぼんやりと霧がかかっている