1033日目 ゆべらオタクマンの長い話

 

シャワーを浴びている間が一番鬱屈した気持ちになる。何故なら頭に泡を立てている間、負のスパイラルに陥る思考を音楽や動画やツイッターで遮ることができないから。

最近はここのところ、お湯を浴び始めると同時に研究室の面々の顔が思い浮かんで、肌寒い生きづらさのようなものが背筋をスッと凍らせる。といっても、彼ら彼女らに不満があるというのではなく――むしろ、明るく快活なそいつらの仲間の一端として過ごしている自分が、ついつい口を滑らせて不興を買ったり、お手本のような陰キャムーブをかましていたりはしまいかという不安。

どうも自分は、スマホやパソコンに浸りながら同類の動向を眺めているときや一人でふらっと名もない散歩に出たとき、もしくは大して正社員との付き合いを意識する必要もないバイト中なんかは素に近い自分で過ごしているらしい。けれども逆に、社会の構成の一部を務めるという自覚を持って真人間のふりをしなければならない場においては、繊細な自意識過剰に囚われてしまう。そして最も身近にあるそれが、研究室という小コミュニティであると。

「研究室なんかが真人間の社会? むしろオタク気質の曲者が集まる居心地の良い巣窟では……」とツッコミが入るかもしれない。けれども、理系単科大学の中にも、重箱の隅をよく見てみれば陽寄りで文系チックな分野がある。そしてさらに、そういう中でもかなり朗らかな人種に寄っている(すなわち市井に近い構成になっている)のがうちなのだ。利害を度外視した大きなネットワークの中で生きていくのに長けた男女が揃っている。そう考えればなるほど、ブルーアーカイブのポルノを眺めてから家を出て、学生室のドアを開ける三秒前まで学園アイドルマスターのソロ曲に目頭を熱くしていたきりちにクンが、群れに馴染むのに苦労するのも無理はないだろう。

ひとたび「あのとき要らんこと言ったかも」と不安になったら最後、たとえ単なる自意識過剰だったとしても、実際にやらかしていたとしても、何にせよ関係なく脳内反省会が始まる。濃度1%にも満たない程度だが確かに体じゅうを巡り巡る「死にたさ」。こんなにムーブの良し悪しが気になるのならいっそ面と向かって「なあ、俺ってキモいですか?」と尋ねてみたいものだが、当然そんなことはできない。だから毎日が、セルフ針の筵の上です。

 

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1031日目 初星学園を聴こう。 - きりちにの日記、きりちにっき

一昨日の日記で学園アイドルマスターの楽曲を紹介したが、わずかなインプレッションで選んだ一部の曲だけを「おすすめ」と称して披露したのは良くなかったと反省している。端的に言えば、全曲がアタリ。大学の行き帰りにSONYのイヤホン直通でじっくり聴いてみたが、紹介した曲はもちろん、スルーした曲すらも目頭をじわっと熱くさせた。

何がここまで胸に迫るのだろう。さまざまな音楽ジャンルのいずれも名手によって書き上げられた楽曲群は、意表を突くような斬新な音作りというよりはむしろ、馴染み深く王道感のあるリズムやコードによって構成されているように思う。言わば、紋所を見せれば必ず盛り上がる水戸黄門のようなもので、安定して高得点を叩き出せるように作ってあるのは明らかなのだが、ただそれだけではこんなにもぎゅうっと心臓を鷲掴みにすることはできまい。となると重要なのはやはり、歌詞に込められた想いの強さだろうか? 既に学マスをたっぷりプレイしている自分にはヒロイン一人ひとりが抱える葛藤や懊悩が歌詞と重なって聴こえ、相乗効果的に大きな感動が喚起されるというのはある。けれども、そんな「知る人ぞ知る」のようなつまらないものではなく、上手く説明できないが、アイドルたちの全霊の歌唱には誰にも通ずる栄養分が詰まっているような気がしている。

 

youtu.be

アイヴイ

月村手毬/ツミキ

 

「何かを解くように あたしは歌ってんだ」

こないだ紹介しそびれた曲。ものすごく フォニイ 。どこまでもフォニイ。おそらくは「フォニイのような全力の叫びの歌を」とオーダーを受け、その期待に忠実に応えたのだろうと察せるくらいに割とド直球のフォニイの再来である(小並感)。

しかしそれゆえ、脳に効く。癌に効く。肉声を伴う再会。令和の王道にがっぷり四つで組み合って、こんなにドゥンドゥンとヘドバンしながら街を往来していく水曜日の幸せよ。

 

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昨日、文具屋で精緻な0.03mmサインペンの試し書きを遊びながら、そういえば自分も製図用のサインペンセットを持っていたじゃないかと思い立ち、家に帰ってさっそくスケッチブックを広げた。昨年の夏ぶりに、およそ一年越しにイラストの練習をしようというわけである。

きわめて短い期間とはいえ模写の真似ごと(模写の真似ごと!?)をしていたおかげか、いかにも落書きという感じに正面の顔が描けた。次いで、過去に描いたことはないが、アニメ風の図案を意識しながら横顔も描いてみる。初心者特有の全能感という色眼鏡をかけている向きは否めないが、どうして案外悪くないんじゃないか。……けれども、顔面だけ描いていたのではなんだか味気ない。せっかくイラストをやってみようと思いついたからには、もうちょっと凝ったものを描けるようになって、通りすがりのフォロワーに「おっ、やるやん」と思わせてみたい。

女体、か。そうだ。女体が描けたら楽しいかもしれない。女体は男体に比べて大好きである。やはりまずは模写から入ろう。模写は楽しい。しかし、女体を真似るにあたっては、何を教材とするのがいいだろうか。正確な人体の写真やデッサンをなぞるべきか、それとも自分の好みに合う先人絵描きを探して、絵描き独自にデフォルメされた美少女体を追いかけるべきか。

リッチ感のあるイラストを描くという理想を追求すると、そもそも線画の練習から入るのではなく、塗りをじっくり練習する方が大事という考え方もある。さらに言えば、目標がアイコンや表紙などのデジタルイラストに寄っているのだから、ガサガサの手描き線画をスキャンして取り込むなんて手間は取らず、デジタル作画をやった方がいい気もする。しかし、小さなスマホと安く使いづらいタッチペンでは思う通りの線が引けないし、かといってそのために大枚をはたいてタブレットとペンを迎えても、元を取れるくらい情熱が持続するかと言えば、そんなことは全くない。

と、そんなことを考えているうちに、だんだんと「遊び」ではなく「努力」の香りがしてきて、なんだか面倒になって思考停止してしまった。努力や鍛錬といった二文字は大の苦手である。かつてDAWを奮発したのに一曲も作り上げていないのと同じように、落書きも意気込めば意気込むほど、ぷつんとやる気が失せて金の無駄になる気がする。やはり雑書きくらいが自分には合っているだろう。……しかし、やはりやってみようというからには、それなりに見栄えのする一枚を描いて自他ともども満足してみたいし……。

とりあえずどうしようか、ぼんやりと考えたり考えなかったりしている。