977日目 手渡し

 

前を歩いていた人がはらりと持ちものを落としたので、拾って声を掛けて手渡す。よい行いをしたという誇らしさよりも、大それたことをした、挙動不審じゃなかったか、という恥ずかしさが募る――。そんな日記を過去に何度も書いていることをフォロワーに指摘されて、どうやら俺はいつも試されているらしくて、と冗談を言って笑ったのが昨日のことだ。

そして今日。薄着が過ぎたので着替えようと家に戻っている最中に、その機会はまた訪れた。

 

春の陽気に包まれて、路肩の車までもが楽しくくつろいでいるように見える。そんな昼下がりの住宅街の通りを、お腹に赤ちゃんを愛おしそうに抱っこしたパパが歩いて来る。心地よい揺れに機嫌よく、赤ちゃんが手足をはたはた動かしている。まさに春めいて平和な一日だ——。穏やかな思いに胸を温めながら、僕はすれ違った。

それから十数メートルのんびり歩いて、ふと前に目をやると、何か小さなオレンジ色の落とし物が目に留まった。たった先ほどのことを思い出し、ひとつの予感が胸をよぎる。心持ちせかせかと近づいていって、しゃがみ込んで拾い上げてみると、それは小さな小さな靴下だった。

予感は予感で、確からしいとは限らない。元気なじたばたの片足が脱げていたかなんて覚えてもいない。けれどもすぐさま、確信めいた最良の選択が浮かんだ。僕は百八十度くるりと向きを変えて足を溜めた。顔を上げるとすれ違ったパパの背中が遠くに見えていた。

あとはもう小走りに駆け出していた。そこに挙動不審だとかいうことはどうでも良かった。

 

わずかの一分後、僕は再び自宅を向いて、何事も無かったかのようにゆらゆらと歩いている。今日ばかりは気恥ずかしさとは無縁の、己の迷いなき判断と献身に誇りを抱きながら。