1023日目 池上を歩く

 

 

ここ半年ほど「ついに人生の『正解』を見つけた! 食物繊維だ!」と喧伝してはばからず、サプリやらアーモンドミルクやらいろいろと†チートアイテム†をかき集めてホクホクしていましたが、じっくり振り返ればそれらを以てしても基本的に調子が悪い日の方が多く、これはいよいよ食材ではなく体質の問題だろうなと反り立つ壁の前に少なからぬ絶望を覚えてめそめそするような日々が続いていたものの、この二週間くらい初心に立ち返って米と野菜炒めの自炊の夜を重ねてみたところ劇的に体の様子が改善し、そうだったのか、健康の秘訣はハックなんかじゃなく地道で正統派なところにあったんだ、と伏線回収のような思いが押し寄せて希望が湧いてきたのも束の間、全く予期しないタイミングでひどい絶不調に陥るなんてことがあり、結局もう全部ダメ、自分自身のコンディションとその原因を把握することなんて人間には絶対に不可能だし、元を辿ったところで遺伝だか天罰だかで解決策がないという悲運を受け入れるしかない、なんてこともあるから空虚になるばかりです。人生はダメ。

 

 

お腹が痛い、の一点張りでも十分なほど人生に対する肯定感は乱高下するけれど、たったそれだけで絶望していたらこの先どうなっちゃうんだという妥当な予感はあります。ある健康学者が唱えたところでは、ヒトの肉体のピークは24歳。まさしく僕は今その分水嶺を跨ごうという瀬戸際にいて、わずかばかりの自覚、例えばカップ焼きそばが全く受け付けなくなったとかはありつつも、それ以上のリアリティは思いのほか薄く、本当にこれからバタバタとドミノが倒れるように首や肩や背中や腰や脚が止めどない責め具のように痛み始めるのだろうか、いやきっとそうなんだろうな、親父だってボロボロだしな。思えば三~四年前くらいに「あ~もうジジイだな~」と仲間内で茶化しあいつつ心の中では(ま、全然若いんですが……)と思っていたけれどそれも懐かしいもんだ。三~四年後の僕は悲壮感漂わせているだろうか、いやそこまでは無いか、いや分からない。唐突に何か避けられない悲運に見舞われて、世界から弾き出されてしまう奴がぼちぼち出て来始めても、何もおかしなことはないから。などと、シャワーを浴びながら頻りに青い顔をしていました。あんたが突然この世から居なくなった日、涙の出ない私はどんな気持ちで天井を見つめて夜を過ごすだろう。

 

 

地元を出てはや六年目となりました。就職も大都市圏になるでしょう。口では「そのうち転職して地元に戻るかも」なんて言いつつ、実際そんな選択はあり得ないだろうとも思う。そして、未来のことは分からないけれど、世代全体のゆるやかな意志として、僕らの少なくない割合は独り身を続けるに違いない。すると、地縁も何もない僕らはどんなお墓に入るんだろう。遠くの縁遠い親戚が釈然としない顔でやって来て、一苦労しながら焼骨を済ませて先祖の墓に埋めてくれるだろうか。それとももっとシステマチックに、孤独死者のカプセルホテルみたいなロッカーに骨壺が置かれて、それで終わりだろうか。あるいは誰からも顧みられぬまま腐っていって、ある日閾値を超えたときに身元不詳人として発見される。もしくは親族は居なくとも友人が、いやどうだろう、ただの友人に仲間の死後を取り仕切る権限なんかあるのだろうか。どうあっても離ればなれの孤独が募ったとき、このまま釈然としない終わりを待つくらいなら、あんたのすぐ後に続いて私自ら、なんて振り切れた決断はきっとできないでしょう、実際を生き永らえる僕らには。