661日目 当事者

 

インターネットを手にしたあなたは、疑似的に神の視点を得た。

 

人類の歴史。戦争。犯罪。大災害。それでなくとも、生きている限り終わることの無い、一人の人間の苦難。

そんな事物の全てを、あなたは液晶を通じて眺めることができる。俯瞰的に、小さな生き物の存亡を見るように。まるで、当事者ではないように。

 

けれども、そろそろ寝ようと画面を閉じたとき、あなたは気がつく。

 

あなたは神ではない。傍観者ではない。あなたが座るのは天上の椅子ではない。

あなたの前には道があり、崖がある。あなたもちっぽけなプレイヤーの一人だ。未来の誰かに傍観されるだけの、いつか必ず死ぬ一市民だ。

「分かったふり」ではいられない。生の苦しみと無縁では、いられない。

 

 

 

それに気づくたび、俺はヤになるんですわな。

なんとなく安全圏にいたつもりが、急に「オラッ! 苦しめ! 喘げ! 人間ならば必死に『生』を全うしろ!」って言われてるような気がしますんで、ええ。

どうせ人間、どんなに真面目に生きたって、ある日突然戦争だか災害だかに巻き込まれて死んで、100年後のWikipediaの「膨大な死者」の一人に括られるのが関の山、でしょうからなあ。

ええ、本当に。本や画面から「ハッ」と現実に戻ったときの、しょうもない「当事者性」を押し付けられる瞬間が、一番不快で、寒気がする。

 

矮小で頼りない、そこの交差点に飛び込めばたちまちに弾けるこの命だってのが、俺は怖くなるんですよ。