485日目 心を上気させに行く

 

大学を出る頃には夜の八時を回りかけていた。こんなに遅くまで居たのは久々だ。

無論、一日中籠って立派に進捗を生んでいたとか、そういうことはない。ちょうど正午に登学してから、夕方くらいまではずっとスマホを弄ったりしていた。つまり実働時間は3時間くらいだ。それも、今日はタスクがハッキリしていたから集中できたが、いつもならもっと注意散漫に、椅子を回したりして過ごしている。却って安心するくらいには一般的な役立たずの学生である。

外には水たまりが出来、十二月の冷たい風が不思議な湿り気を運んでくる。空気が鼻腔を通り抜けたとき、これまでの冬に経験したあれこれを詰め込んだような、楽しいとも苦しいともつかない感情が湧き上がって来た。

嗅覚が記憶を呼び覚ますとは、よく言ったものだ。

 

電車を降りて地上へ出ると、橋のたもとで一人の青年がマイク片手に歌っていた。機材のせいか知らないが、なんとも絶妙に弱弱しく、音程の定まらぬ歌声。道ゆく人は耳を傾けるでもなく、めいめいの方角にスタスタと去って行く。

私見だが、ストリートライブというのはナイーブな気持ちを想い起こさせる。冷たく侘しい世の中、成功者ではない者の匂いが立ち込める街角。歌声は川の風をセンチメンタルに彩る。私もまた冷たい傍観者の一人であるのだが、胸の内ではしんみりとしていた。

大通りへ出ると、あちこちに電飾が吊るされている。イルミネーションを見ると「ああ、今年も年末が来たのだな」という素朴な感想が口をついて出る。僻んでいるわけではないが、なんとなく憂鬱。きっと、あなたもそうだろう。

 

さて、今日は遅いにも関わらずわざわざ繁華街の中心部に寄った。一部で話題になっている新登場のゲームに挑戦するためである。

 

 

MUSIC DIVER。タイトー音ゲーの新世代。これをやってみたかったのだ。

両手に握ったバチで画面やパッドを叩き、奥から飛んでくるノーツを叩く。画面構成はオーソドックスだが、ドラムを意識したプレイスタイルはタイトーにおける新機軸である。

まずもってこの操作が軽快だ。音ゲーは大きな括りだと「体感ゲーム」と呼ばれるが、その名の通りいかに新鮮な体感を提供できるかが大きなポイントである。バチを使うゲーム自体はコナミドラムマニアなど名作が多数あるが、MUSIC DIVERはバチの操作体系をタッチパネルゲームに特有の感覚的で分かりやすい形式に持ち込むことで、特殊な道具を使っているのに直感的に遊べるという気持ちよさを確立している。

 

で、上に「分かりやすい」と書いたが、実際にプレイしてみると想像以上にノーツを認識するのが難しかった。たとえ知っている曲でも、配置がイメージ通りになっているか予想に反しているかで、天と地ほどの点数差が生まれる。基本は「飛んできたままに叩く」が通用するゲームだが、少しでも上手くやりたいと思うのならば結構な慣れが必要であるらしい。幸いなことに、新規の音ゲーらしく画面表示のコンフィグが充実していたので、拍線を消したりノーツ速度を上げるなどして幾分かは遊びやすくなった。

画像はおそらく今日最も出来が良かったリザルトである。94万点以下を数回繰り返したのち、急にここまで跳ね上がった。ちょっと遅いかな、くらいの出足で連打に入るのがコツであった。どのゲームに行っても、本当に連打が苦手である。MUSIC DIVERはノーツの飛来箇所がかなり絞られているぶん、高難易度は連打がメインになるに違いないので、相応の覚悟が要りそうだ。

 

それにしても、つい最近登場したばかりのゲームであるというのに、まるで昔からゲーセンに置いてあったかのような安心感がある。どうしてかを考えた末に、ひとつの素朴な感想に思い当たった。「MUSIC DIVERは、WACCAの精神的後継である」。

無論、ゲーム性は全くの別物である。手で叩くのとバチを振るのと、この差は大きい。だが、いわゆる「ゲーム体験」——この場合、クレジットを入れてからログアウトするまでの、ゲームのデザインなどを含む総合的な体験——を考えると、どうか。

例えば、黒に近い紫を基調としつつも、煌びやかな配色が目を惹くゲーム画面とか。円形に広がるように奥からノーツが飛来するゲームシステムとか、横スクロール形式の選曲画面に対するデバイスを活かした操作性とか、ショップ・スキルチェックなどの機能とか。もっと些細な(しかし大事な)ところだと、ログインと同時にハード系のEDMが流れ出し、毎度のようにナビゲーターが現れて一言コメントを残すところとか。ひとつひとつの類似点はよくあることでも、これだけいろいろな要素が近しいと、明確なリスペクトの雰囲気を帯びてくる。

そういうわけで今日は、なんだか以前にやったことがあるゲームのような、そういう親近感を覚えたのだった。実際のところタイトーマーベラスは仲良くやっていたし、意識的であれ無意識であれ、少しアイデアが寄った部分はありそうである。まあ、今日はEmoCosine氏の曲を延々と聴いていたから、より強く似ているように感じたという面もあるかもしれない。

 

 

ゲームセンターから出ると、再び冬のひんやりした空気が身を包む。だが、音ゲーで上気した心は簡単には冷めやらない。やはりゲームセンターに顔を出すことは、精神への適度な刺激になるようだ。今月は節約しなければならないのだが、そのうち気が向いたときに、またふらりと立ち寄ることがあるかもしれない。塞いだ気分を晴らすアンプルには丁度良かろう。