465日目 親父にも撲たれたことないのに!

 

「親父にも撲たれたことないのに!」

……というのは大体本当で、実家で暮らした18年間のうちに親父が手を上げたことはたったの一度しかない。なに、激務続きで精神的に疲弊していればついつい気分が波立つこともあるだろう。それを考えればただの一晩くらい、もはや殴られたことは無いも同然だ。安易に力関係に訴えない、立派な親父である。

だが、だからといって私が蝶よ花よと育てられ、生意気甚だしい全くのお坊ちゃんに出来上がったのかというと、決してそんなことはない。親父は暴力こそしなかったが、厳格で神経質で、心に余裕のない男だ。そこに母の忖度が加わったものだから、家の中は常にピリピリとした緊張に包まれて、軽率で子どもらしい言動が憚られるような空気感に統制されていた。特に、親父の完璧主義・理想論は度を過ぎていたから、後にも先にも堅物な言葉を投げかけるばかり。つまずいたりだらけたりする人間らしい幼さを褒めてもらったことは、覚えの限り一回もない。

 

それより何より、中学の頃の運動部の顧問が酷かった。世が世なら体罰も平気でやったであろうという剣幕で、とにかく寸分の休みもなく、烈火のごとく怒鳴り続ける人だった。上級生が引退したあの日から、誇張でもなく毎分毎秒、私は彼に大声を浴びせられ続けたのだ。

例えば、練習試合の朝一番、第一戦の第一球で、ファーストサーブをネットに引っ掛けたとする。すると即座に背後から怒号が飛ぶ。慌てて肩を縮めながら振り返ると、顧問がベンチにふんぞり返ったまま鬼のような形相でカンカンにがなり立てる。そんなことをしようものならますます萎縮して、セカンドサーブも入りようがないではないか。すると顧問は再び強い非難を浴びせてくる、あるいは呆れたように冷ややかな笑いを浮かべてコートを去ってしまう。当然、試合後には急いで走って謝りに行き、教えを乞わなければならない。……後から聞いた話だが、父兄の中には生徒を不憫に思い、涙を浮かべながらベンチに座っていた者もいるらしい。それくらい、彼の「指導」は凄まじかった。

部員でない一般の生徒からは「怖いが愛のある先生」と親しまれていて、中には学年を代表する恩師だと推す声もある。だが、直接の指導を受けた私からすれば、彼の叱責はあまりにも理不尽で、いささか恐怖の度合いが高すぎた。少なからぬ恩義と愛着はあるが、人の道を教える「先生」としては……人間としては、到底尊敬できないと思っている。

 

さて、話が逸れてしまったが——それでは、強い言葉で詰られた若者は、そのぶん精神的に鍛えられるのだろうか? 否、そんなことはあり得ない。見よ、この体たらくを。常日頃から他人様の顔色を窺ってビクビクしている、一丁前の臆病者が出来上がったではないか!(まあ、生来の打たれ弱さのせいも大きいのだが……)

 

今日は教授にご指導ご鞭撻の依頼をメールで送ったのだが、数刻後に返って来たメールはあまりにもそっけなく、点々と単語が並ぶばかりで冷たいものだった。無論、彼は決して意地悪なのではなく、聞かれたことだけ適当に答えれば後は自力でやれるだろうという、そういうざっくばらんな性格なのである。……だが、臆病者の心を縮み上がらせるにはそれで充分だった。言葉の端々の切れ味に怯え、もしかすると気分を害してしまったのではないかと不安に陥る。それが私なのである。

悪意のない発言にすらビビっているのだから、まして明確な敵意の込められた言動には心底参ってしまう。その最たる例が車のクラクションだ。一体全体何なんだ、あれは。危険運転の自転車や余所見の子どもに鳴らすならともかく、こちとら真っ当に安全通行しているのに「どけどけ」と言わんばかりに威圧されるのだから気に食わない。だが、向こうは人をも殺せる鉄の箱、こっちは虫を叩くのがやっとの生身のチキン野郎だ。自分は間違っていないと理解していても、急に吹っ掛けられてすっかり萎縮しているのでしょんぼりと従う。しかも、車が去った後もそのショックを引きずる。なんて軟弱者なんだろう。

 

ブラックバイトの店長、大荒れのタイムライン、通りすがりのチンピラの一瞥……。この世に存在する大小さまざまな悪意。いやきっと、私個人を真っすぐに狙った攻撃というものはほとんど無くて、大抵は単なる交通事故か、一方的な勘違いかであるのだが。そういったものにいちいち反応して摩耗するようでは、大人の社会ではやっていけない。

だが、仕方がないではないか。「己を通してこその人生、敵は作ってなんぼ」……そんな尊大な闘争心を剝き出しにして生きていけるほどの自己肯定感を、誰もが誇らしく胸に抱いているわけじゃない。自らを弱いと自覚し、恥じて、だからこそ他人を刺激せずなるべく平穏に生きていきたいと、そう願う臆病な——良く言えば、平和的な人間が私。そして、この世の零点何割かの同胞たち。

どう嘆こうとも自己責任、そもそも口に出す勇気は無し。それが私たちに定められた宿命なのは百も承知。……だが、ちょっとばかしというか、度々というか、事あるごとに世間の荒波は寄せて返して。そんな毎日が、私のようなものにとっては、さすがにしんどい。

 

……そういう夜には、人に頼ったらいいさ。そう言って笑って手を差し伸べてくれる人は案外いるものだ。剛き者は即ち敵、という世の中ではない。臆病者はむしろ、芯が太くて豪胆な者のおかげで生きていられる部分がある。

しかし、いつまでも頼りっきりというわけには行かないからな。義理というものがあるから、弱虫でもいつかは世間を恐れず一人立ちし、感謝を胸に訣別したいと強く望むのだが……。果たして私に、そんな誇らしき日が来ることはあるのだろうか?