529日目 気づくのが遅すぎる

 

研究という営みにはさまざまな段階がある。雑多な論文を読み漁ることから始まり、資料収集、題目決定、手法の検討、調査(実験)、データ整理、解析、執筆、発表資料の作成……。

「テーマなんか一生決まんねえよ」と思う。「パワポ作ってる時間の価値ゼロだろ」と愚痴る。好奇心をくすぐる「なるほど!」のパートとは切り離された、面倒なばかりの時間の方が多いのだ。

だが、逆にこれだけたくさんのタスクがあるならば、誰にだってひとつくらいは口に合う部分があるらしい。

 

ようやく卒論の執筆に手をつけ始めて、今日が3日目になる。

じゃあそれまでは何をしていたのかというと、もちろんアパートに引きこもって現実逃避していた。根っからの努力嫌いでかつ怠け者。おまけに、自分から他人に相談できない小心者のくせに、放任主義の教授に師事してしまったもんだから、当然ながらモチベーションなんてものが湧く余地はなかった。雀の涙ほどの生データを放置したまま、夕方に起きて朝に寝る生活である。

余談だが、このデータを取るまでも楽な道のりではなかった。といっても何のことはない。手順は大したことがないのだが、人見知りがキツすぎて心が折れまくったのである(私は工学部生のくせに、ヒアリングとアンケートから成る人文科学をやっている)。

そんなわけで、布団に入っては悪夢を見、目覚めては「研究向いてねえよ」と弱音を吐いてゲームを起動する生活を続けていた。

だが、正月が終われば冬休みが終わり、やがて3週間、2週間と期限が迫ってくる。デッドラインが近づくに従い、進捗報告会をするから現状を見せろと言われる。

きっと呆れられ、厳しく詰められるだろう……。私は半泣きになりながら、ギリギリ怒られない最低限を目指してモタモタとデータの整理を始めたのであった。

 

それから3日が経った。

ふと気がつくと、22時を過ぎていた。皆が帰った後も、私は一人残ってキーボードを叩いていた。

手をつけるまではあれだけ億劫だった本文執筆。しかし、ひとたび始めてみれば、いつの間にか没頭している自分がいる。方針も何も見えてこなかったテキストデータの束が、単語を捏ね繰り回す頭の片隅で段々と体系的に整理されていく。情報と情報の間に新しい関連項が見つかる。ひとりでに文量が増えていく。

思えば、一回の日記を1,000文字として、ここ五百日で500,000字近く書いてきたのだ。資料さえ揃っているならば、そこに気持ちばかりの考察を加えて活字に起こす、ただそれだけの作業に手間取る私ではなかった。卒論で必要とされる字数なんてせいぜい20,000字。「マリブ・サーフ」を二度書くよりも短い。発表会では「論がペラペラ」「データが少なすぎる」と四方から非難を浴びるであろうが、少なくとも卒業はさせてもらえるのではないか。

「書ける」。そう確信を抱きながら、私はカギを閉めて研究室を後にした。何なら、今日手をつけ始めた章は楽しいから後回しにして、面倒な章から先に終わらせてしまおうか。そんなことを考える余裕すらある。明日は少し早めに起きて登校するつもりだ(もちろん、駅前の立派パン屋に寄って)。

 

惜しむらくは、気づくのが遅すぎたことだ。もっと早めに取り掛かっていれば、ちゃんと比較実験としてより多くの調査に赴くことができたであろうし、嫌いな図表作りにも余裕を持って取り組めたであろう。

だが、仮にもっと早く「書き始めれば意外と面白い」と気づいていたとしても、結果は変わらなかっただろうとも思う。ものぐさで臆病で、自主性を求められるのが嫌い。追加調査もしなければ自主報告もしない、研究不向き人間。けれどどういうわけか、執筆中に限って機嫌が良くなる。締切直前であるのに、少し勇気が湧いてくる。そんなヘンテコな自分が、不思議と今日は愛おしくすら思える。数日振りに元気な私である。