594日目 越えてきたもの 越えていくもの

 

「無能感」というものは結局、己の矮小なプライドを守るために自ら課した縛りなのではないかと思う。

 

 卒業証書授与式に出席した。本学に上手く馴染めぬまま4年間を過ごし、憎しみすら抱いていたが、ともあれそんな本学から私は名入りの学位記を受け取った。

 シラバスと睨めっこしてきた大学生活。あわやの危機は幾度もあったが、なんだかんだで卒業に漕ぎ着けた。同科生の中に友と呼べる者など一人も居なかったが、同じような孤独を抱えている者が何人かは居て、彼らとの密かなシンパシーは一定あった。

 式典が終わるとたちまち一人ぼっちになった。宛もなく会場を出た私は、気の利いた土産も持たぬまま、かつての研究室にとぼとぼと向かった。だが、そんな私を出迎えたのは「式の後にわざわざ挨拶に来たのは君が初めてだ」という感心の言葉だった。

 

 一昨年から昨年に比べると、私の自己肯定感は幾分か改善したように思う。そこには、もしかすると皆は既に知っているのかもしれないが、右のような気づきがあったのだ。

 どんなに自分のことが情けなく思え、できないことばかりだと嘆いたとしても、どこかにはきっと自分の武器がひとつやふたつはある。そして、人は無意識下であれ自分なりの方法を見つけて、なんとか難局をやり過ごしていけるものなのだと。

 己を卑下する場面は常にある。今がたまたま安定期であるというだけで、数日後、数週間後にはまたどん底に落ちているかもしれない。だが、事実として私はここまでのらりくらりとやってきた。なれば今後も、時にはセコい方法で、また時には無理に自分を誤魔化しながら、しばらくは大小の壁の穴を潜り抜けて行けるのではないかと思う。

 

 ただし懸念もある。

 私はこれからもたびたび「無能感」で虚飾して、なるべく己にかける期待を下げて、軽薄に生きていこうとするだろう。だが、ある程度の局面を乗り越えてきた者には、それらを乗り越えてきただけの価値、能力が要求される。いつまでも「俺なんかダメダメなんで笑」とニヤつく若造では居られないのだ。

「ここまで来たからには、ある程度はやってくれるだろう」。人々にそう見積もられる年齢になったとき、彼らを裏切って失望されたくなければ、それまでに「できないが何とかする人」ではなく「できる人」になっておかねばならないだろう。それは私にとってはあまりにも高尚で無茶な要求であり、苦しく思う今宵の春。