866日目 Diversity

 

多様性の時代です。人には得意・不得意があり、ある人にとっては容易いことでも、別の誰かにとっては難しいことかもしれない。そんな「違い」を尊重しよう、無理強いしないようにしよう。……と、そんな価値観が広く浸透してきています。

かくいう私も、多様な人間の中の一人です。例えば、体調を崩していることが多いので、長時間拘束される用事がきわめて苦痛なのですが、最近は会合の途中で離席することに罪悪感を覚えにくくなりました。

それから、私は生まれつき「頑張れない」性質のようです。けれども、持ち前の特質は「多様性」の顕れであり、無理をしてまで改めずともよいものとされています。「頑張らない」ことを固有のスタイルと自認し、開き直って小努力・小成果の生活をしています。

周囲の人物と協力的関係を作ることへの意識が浅く、上手に他人へ気を配ることができないのですが、周囲に手を差し伸べる力は個人差がありますから、とりあえず自分のことができればまずは良しとしています。それから、たとえ仲間と協調するためであっても自分のスタイルを曲げることができず、結果的に集団へ与える価値が小さくなりがちなのですが、誰しも自分が落ち着くやり方というものがあり、それは尊重されるべきですから、自分の方針を貫くことを自ら許可しています。

……というのはもちろん詭弁でして。多様性を認める価値観は悪いものではありませんが、他人を認めるその「優しさ」を過剰に自分にも向けてしまうと、それは単に自分を甘やかすことを肯定することになります。

人にはそれぞれ不出来な部分があり、それはなかなか改善できるものではありません。どうしても苦しくて仕方がないならば、自分を許してハードルを下げてあげることも大事です。けれども、もしも自分の生きづらさの原因がその「不出来」であり、根本的に解決しない限り明るい明日が来ないというのであれば、己を甘やかさず、向き合って乗り越えようともがくことも時には必要でしょう。

ええ、分かっているんです。分かっているんですよ。私も。分かってはいるけれど、これまで二十数年間の人生で自分の中に革命が起きたことは、一度としてない。ならば、私が私自身に革命をもたらせない軟弱者であると諦めることも、それもまた「多様性」でしょう? どうすればいいんですか?

……そう虚空に尋ねてみても、答えは返って来ず、自分で見つけるしかない。「自己責任」もまた、自身の多様性を過剰に信頼する怠け者が引き受けるべきものです。