「どうも、積みゲー0本と申します」
こんな投稿にいいねが幾つもついた。これはどういう意図のいいねか? おそらくは共感や賛同ではなく、驚嘆とか感激、すごい😭 そんな人がいるとは😮 恐れ入った😄 といったニュアンスのいいねであろう。
ゲームを積むという行為、これは特にSteamのセールが大々的に持て囃されるようになった頃から私の耳にチラホラ入るようになった概念なのだが、積読と同じで、いささか理解しかねる。なぜ、買った? なぜ、やらない? ……この指摘に関して正しく理解をしてもらうには、私自らの思考的傾向を説明しなければなるまい。
第一に、私はある物品に対して、明確な必要性を生じたそのときに初めて手を出す。自らが所蔵するものは百パーセントの確実さにおいて何らかの目的を満たし、すぐさまその役割が果たされるものでなければならぬ。「安いから」「なんとなく興味がないわけではないから」と言って、半ば積むことを前提にして手に入れたものは、往々にして日の目を見ることのない死蔵品、すなわち損となる。二度と手に入らない希少本などを積むのならともかく、大量生産、即時入手のこの時代にせっせと死蔵コンテンツの山を作るのは、ハッキリ言ってそのぶんだけ無用な出費を先払いさせられていると言わざるを得ない。
第二に、私は興味を持ったものには即座に手をつける。己がスタンスを最も分かりやすく表現した自作の格言がある。「やる気はあるけれどまだやっていないものには、やる気があるとは言えない」。言い換えれば、本当にやる気があるならやるだろう? 今すぐ! という、ただそれだけのシンプルな……しかし、趣味人にとっては自明の原理である。本当に気になっている作品を手にしたその瞬間、理性も遠慮も何もかもをかなぐり捨てて、何十時間とのめり込んで全身で味わい尽くすというのが、野生的人間の本来であろう。この手の人種にとって「積む」という行為は自らの爆発せんとする欲望に背く非自然的な行為だ。やりたくて買ったなら、やろうではないか。今すぐにでも!(裏付ける事実として、我がSteamのライブラリに一度も触ったことのないゲームなんぞはひとつもない。あるのはほぼ全てのクリアしたゲームと、ごく一部のクリアに値しないと切り捨てたゲームだけである。)
長々と偉そうに書いたが、無論、積むという行為に対するスタンスはそれぞれである。コレクションとしての価値を感じている人も居ようし、そこにとやかく言うつもりは毛頭ない。全ゲーム民よ、自分の購買行動には自信を持っていただきたい。
……ただし、Steamセールのたびに「安いぞ! これを機にどんどん積みゲーを増やそう!」と喧伝する者よ。その発言は徒に他人の残高を目減りさせ、埃を被る休眠資産を増やすばかりの、ゲームへの真なるプラトニック・ラブに欠けた悪魔のささやきに他ならない。やめたまえ!