639日目 グルコスと私

 

 私とグルコスとの出会いは、9年前に遡る。

 

 2014年。当時、私は中学2年生。テニス部の副主将をがむしゃらに努めながらも、だんだんと新しい趣味や立ち居振る舞いを(無意識に)模索している頃だった。

 家から遠い中高一貫校に通っていたから、行き帰りにはバスを使う。同じようにバス通学をしている友人たちの内に、或る一人のカリスマ少年がいた。彼は中坊たちの中でも、いち早くゲームやスマホを学校に持ち込むことを覚えたワルである。大人びたアウトローな学友の姿は、私にとっての憧れであった。(分かる人には分かるように言えば、ジャギィである。)

 いつの日か、私は彼に好奇心で着いていき、初めてゲーセンに足を踏み入れた。無論、いい子ちゃんの私にとっては、おっかなびっくりの大冒険である。そして、そこでグルコスとの初対面を果たしたわけである。……その日は彼がプレイするのを見学だけして帰ったのだが。

 

 中3の夏になり、無様な試合であっという間に最後の大会を終えると、ラケットを手放した私は甚く手持無沙汰になった。中高一貫校であるから、受験勉強をする必要も無くて、やることがない。……青少年に暇な時間を与えると、ロクなことを覚えない。いよいよ私は、同じく退部した同級生(カナ)らと共に、グルコスの沼へと足を踏み入れることになった。

 とはいえ、仲間たちとバチバチ火花を散らすように、本気で音ゲーに興じていたかと言うと、決してそんなことはない。私にはリズム感も無ければ、リズムゲームの素養も無かったから、同期の中では誰よりも下手だった。周りの上手い奴ら(ジャギィ、カナ、セイちゃんほか)がFULL-CHAIN前提のハイレベルな戦いをしている中で、私はクリアできるかできないかの一喜一憂をしていたのである。

 当時グルコス界を賑わせた譜面と言えば、例えばxi氏の「Halcyon」なんかがある。激しいスライド配置がたいへんに衝撃的だった。みるみる上達した友たちは理論値狙いなんかもしていたが、私にとってはまさしく天の上の存在で、点数を詰めようなんてことは一度も思わなかった。

 

 ちょうどその頃、家ではDEEMOやCytusをやっていたという情報も欠かすわけにはいかない。インスト系の音楽の趣味ができたきっかけである。

 我が家は厳しい家庭で、スマホなんかはもちろん買ってもらえなかった。だが、サブカル系の友人とつるむことを覚えた私は、どうしてもインターネットがしたくてたまらない。

 そこで、初めはディスカウントストアの、やっすい中華タブレットから。次には「悪事」に理解のある友人たちの助けを借りて、ヤフオクiPhone(4?)を競り落として。布団の中やトイレにこもって、私はこそこそと音ゲーTwitterを楽しんでいた。

 ……まあ、今思えば、母は間違いなく勘づいていたと思う。物心がついて以降、表立って両親を困らせたことはほとんどない私だが、裏では親の目を盗むようなマネばかりしていた。そして、それに気づきつつも口出しをしないのが、親の偉大さなのだろう。

 

 それからしばらく、私はグルコスやインターネットに熱中した。……だが、高1の冬に転機が訪れる。

 ここでひとつ。正確に言うと、私はグルコスを楽しんでいたのではない。グルコスを通じて、友と遊べることを喜んでいた。すなわち、私にとってのモチベーションは、ゲームそのものには無かった。

 高校前半の多くの同級生がそうであったように、私もまた、思春期特有のひねくれた感情を拗らせていた。メンタリティとしては駄々っ子に近い部分があって、敢えて美化すれば「かまってちゃん」な振る舞いを繰り返していた。実際にどんな調子であったかは、あまり語りたいものでもない。だがひとつ言えるのは、日に日に友人たちが忙しくなり、彼と思うように遊べなくなった私は、きわめてフラストレーションが溜まるようになってしまったということだ。

 狂った思春期の青年なら誰だって、極端な行動に出て自己嫌悪に陥ったことがあるはずだ(ここで同意を求めておかないと、単に私がキ〇ガイということになってしまう)。ともかく私はそういうわけで、グルコス用のカード「NESiCA」をハサミでジョキジョキ切り刻むというような愚行に走った挙句、思い切りよくグルコスもTwitterもやめてしまった。つまり、多くの陰キャ同志と違って、私は高校生活の大部分を「NOTインターネッター」として過ごすことになったのである。

 

 私がインターネットに舞い戻り、音ゲー界に復帰したのは、高校の終わりがけ頃である。といっても、遊ぶ側ではない。作る側である。

 プログラミングが堪能な友達に協力する形で、二人でPC用の音ゲーを立ち上げた。プロトタイプを高校の文化祭で公開し、大学生になってから、ついに一般公開。旗揚げのツイートには3ケタの「いいね」が集まった。

 三人体制でのゲーム制作は、良いことも悪いことも含めて、私にいろいろな知見を与えたように思う。プロジェクトを推し進めることのワクワク感。作品を作り上げたときの誇らしい気持ちと、連帯感。それと同時に、チームを運営することの難しさ、モチベーションを維持することの大変さ。上手くいけば今頃は、100曲以上を擁する著名な同人音ゲーになれていたかもしれないという、儚い幻想……。

 そのゲームはもちろん今も現役で動いているが、基幹となるプログラミング部分を私は弄れないので、新しい展開を自ら持ち込むことは長らくしていない。けれども、プログラム班の二人によると、少しずつではあるが更新作業を進めているそうだ。それでいい。趣味の制作なのだから、自分らの楽しいペースでゆっくりと進めるのが何より大事なのだ。

 

 主軸である「作る」の方がだんだん薄れていくと、次第に「遊ぶ」の方が顔を出し始めた。スマホ音ゲーのArcaeaである。

 Arcaeaは鍵盤型なのでとっつきやすく、なおかつ最近の音ゲーコンポーザーの流行りを押さえているので、アーケードを主戦場とする音ゲーマーにも人気がある。1年だか2年だかかけて、私はArcaeaを遊ぶことで音ゲーマーと共通の話題を得て、少しずつコミュニティに復帰していった。

 まあ、コミュニティの話は副産物である。純粋なモチベーションとして、私は初めて音ゲーの「詰める」過程を楽しめるようになってもいたのだ。齢十九だか二十だかになって、ようやく「判定に合わせる」ということを理解し、みるみる点数が伸びるようになったのである。

 一度慣れてしまえば、音ゲーほど手軽に「継続は力なり」を実感できるものはない。どこぞやのツイッタラーではないが、私はまさしく「インスタント努力作り人(つくりんちゅ)」となった。

 

 スマホ音ゲーの方面から再び手をつけ始めた一方で、アーケードの方はどうなったのか? 悲しいことに、私の進学した地域には、満足にグルコスができる環境が整っていなかった。唐突に「久々にブースターをシバきたい」と思っても、それを叶えてくれる良メンテの台がない。

 ただし、グルコスにこだわらなければ、世の中には面白いゲームがたくさんある。グルコスのクソメンテに唾を吐いて、私はいろいろな機種に浮気を重ねた。多くはワンナイトラブであったが、中にはどっぷりハマってしまった愛人もいる。ドラムマニアと出会ったときには、高校の文化祭でバンドをしたときの情熱を思い出し、わざわざマイバチまで作った。オンゲキも性に合った。

 

 しかしながら、ゲームセンターに顔を出す機会がある以上、グルコスのことを完全に忘れることはできなかった。マトモに遊べる環境がないことに毒づくのは、裏を返せば「もっとやりたい」という気持ちの表れである。判定がすっぽ抜ける悪台に苦しみながらも、私は着々とクレジット数を重ねていた(といっても、月に一回行くか行かないかだが)。

 ……そうしているうちに、いつの間にか地力がついていたなんて。

 

 いま、私は東京に住んでいる。ここから数十分で遊びに行けるところに、メンテの整ったグルコスがいくつもある。当然ながら、足繁くとは行かないまでも、ふらりと思い立ってはゲーセンに足を運んでいる。

 

 

 いつの間にか、私は上達していた。難易度11程度であればS++(99万点)を前提に組み立てるようになっている。「失点を減らす」というマインド――すなわち音ゲーマーの精神で、グルコスを遊べるようになっていた。

 かつては手が届かなかった旧難易度10、もとい現難易度13の譜面も、今はいくつか99に乗せている。……その中には、あの頃の衝撃を忘れられない「Halcyon」や、ボスの一角を担ったこともある「Solar Storm」だって並んでいる。

 

 ここまで来るのに、9年もかかってしまった。同期のユーザーがハイレベルを極め、ついにはグルコスの更新が停止するほどの年月が経った今、私はようやくグルコス民としてのスタートラインに立ったばかりだ。

 けれども俺は、高らかに宣言する。

 

 9年前のヘタクソな少年よ、聞け! 

 俺は「Halcyon」を討伐した。天下一の「Solar Storm」すらも、あっさりと撫で斬りにした。

 だから俺は、グルコスが上手い!

 未来のお前は、立派なグルコス民だ!!

 

 そして! さらに未来の俺は「Singularity -Binaly Enfold-」すらも粉々に砕いて見せよう!