788日目 トポロジカルな空間認知と、途中で淫紋を描かれた人

 

「俺は方向音痴である」と、ようやく認めざるを得なくなったところです。

音痴と言ったって、同じ道を何度も間違えたりするほどではありませんが、知らない街で勝手に見当を付けて歩いたりすると、人並み程度には迷子になります。

都市学や地理学が好きということと、空間認識能力があるということには関連がないようです。

 

分かってきたこととして、俺はどうやら、都市空間をトポロジー的思考に基づいて認知しているようです。

そもそもトポロジーとは、ある地点と地点との間の、絶対位置を参照しない接続関係のこと。例えば、地下鉄の路線図を思い浮かべてください。車両の乗り口の上に貼られている路線図には、たくさんの駅名が横一列に等間隔で並んでいます。しかし、実際には線路はぐにゃぐにゃ曲がっており、駅間の距離もバラバラなのであるから、路線図は「地図」としては誤っている。ところが、乗客が乗り換えに困らないように駅同士の「関係性」を示すという観点で見れば、路線図という簡略化された形式は必要十分ということになります。これが「トポロジー的に同じ」ということです。

都市空間におけるトポロジー的思考とは例えば、駅Aから交差点Bを通って店Cへ行くルートを「A→B→C」という関係性で把握しているということです。Aの賑やかな方の出口を出て真っすぐ行き、Bで右に曲がったのち、おそらく左に湾曲していたであろう道を辿って行けばCがある。というように、おおよその道路形状や景観などの補完情報を覚えていれば、トポロジー的思考によって目的地へとたどり着くことができる。

ところが、同じく「A→D→E」という関係性も熟知していたとして、今ここで「C→E」を最短距離で移動しろと言われると難しい。それぞれの地点の大体の方角は分かっていても、東西南北からなる絶対的な座標位置や、直接移動したことのない地点同士の正確な関係性は把握していないからです。それで、頭の中でおおよそのアタリを付けて歩き出した結果、途中で道が湾曲していたことを失念してだんだんと遠ざかっていったり、想定外の大通りにぶつかって直感による二択を迫られたりするわけ

ほ゛んっ゛!!♡