あら~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~🥺🥺🥺🥺🥺🥺
えっキス顔……あっ……
🙏
😇
どーーすんのと言われましてもね、こちらはただアーモンド効果を飲みながらニヤニヤすることしかできないン゛ッッ
これね、ゼミ発表前日の俺です。
✋😁🤚
推しが楽しそうだと俺も楽しい。なんて顔がいいんだ……。なんて顔がいいんだ……。
昨日の夜、オイスたんと一杯ひっかけんべと思ってさ、七時半くらいでしたか、いつもの気分で半袖シャツ着て外に出たんですわ。
そんだらさ、寒いのよ。
「あらっ」と声が出るくらいには肌寒くて。
そんでさ、俺はもう喜色満面です。
これはもう毎年のように言ってると思うんだけど、夏が「届かないエモさ」だとしたら、冬は「ありあまるエモさ」だと思うんだよね(←調べたら昨年の9/20、一昨年の10/17にも同じこと書いてました。ジジイ)。
じりじりと照りつけるような太陽に「夏」を感じるときって、例えば白ワンピースの幼なじみとか、海の家とか、田舎の縁側で「あの子」と過ごしたひと夏の思い出とか、そういう「無い」思い出の虚ろさ、空白感に苛まれるタイプのエモさに浸ると思う。サマーコンプレックスという言葉もある通り。
けれども夏の終わりのある日、外に出たらひゅうっと冷たい風が肌を撫ぜて、わっと「冬」を感じたとき。こんなとき思い浮かべるのは、昔なつかしい中学時代の、実体験の……冬のある日のバスの車窓とか、人の居ない暗い夜道で街灯を見上げたこととか、大学生になって初めての十二月、大路を歩いてコンビニから帰った夜とか……。そういう「有る」思い出がぶわっと鳥肌のようにぶり返して、すごく「ありあまる」気持ちになるじゃないっすか。
だからさ、昨日「寒いな」と思った瞬間に、俺は喜びにミチミチた。
好きなんだよな、ベージュのコート来て、人の居ない寂れた往来を行くときの、孤独に浸ってみせている時間の、キザな美しさ。そういう季節がもうすぐ巡ってこようとしているんだよ。
そんな幸福感に包まれていると、学会の資料とか、フィールドワークのしおりとか、作らないといけないあんなものやこんなものなんて、どーでもよくなりますね。
わーっはっは!!
って、いやいやいや!
どどどどどーすんの!?
どーーーすんの!?!?
カ゜ッ(尊顔死)
(走馬灯)
めーっちゃ🎶めっちゃ👈😮🤜めーちゃ😮👐めっちゃ
あーい🦶😮👍あいーさ🎶あーいあいーさ💪😮💪
おーどり✋😮🤚おーどりくるえーー❗❗🎶🎶
🎶🦵🦵🎶
めーっちゃ🤛😮🤜めっちゃ👋😮めーちゃめっちゃ🎶
あーいあいーさ🙂あーい🎶あいーさ🖖😮👇
トレセン音頭で💪🦆よーよ🎶いーの💪😬よーよ🎶いーの💪😬💪😬
よーよ🎶いーの💪😬💪😬💪😬よい❗❗😇🙏