キャッシュレス化が叫ばれるようになって久しいが、私は専ら現金派の生活をしている。
ナマのお金の何が優れているかといえば、自分の手中にある余力の数値をそのまま実体化したものが財布に収まるというところだ。もっとシンプルに言うと「いくら持っているかが分かりやすいし、使いすぎる心配もない」ということ。使った分はそのままのコインが減っていくし、浪費をすればみるみる財布が軽くなっていくので危機感に繋がってくれる。
一方、キャッシュレスの利点のひとつが「カードを一枚さっと出すだけで済むので便利」という点だが……。本当にそこまで快適なものだろうか? 実際の会計シーンを見ていると、クレジットカードを専用の機械にやっとこさ挿して、暗証番号入力までのラグをじっと待つ時間があったり。アプリ決済なら、スマホのパスワードを打ち間違えたり、目当ての画面になかなか辿りつけなかったりする。
クーポンアプリの類も同じだ。どこにあるか分からないバーコードを店員を待たせてまで探すくらいなら、さっと現金だけ渡してしまった方がコスト的に賢いような気がしてくる。だから私はなかなか現金族から進化しないでいる。
……ちなみに、キャッシュレスのもうひとつの特徴である「ポイント付与」は正直かなりの強みだと思う。マックのモバイルオーダーで雀の涙のようなdポイントを使うたび、もっとあらゆる買い物でカードを使うようにすれば結構儲かるんだろうなあ、と損した気分になっている。
とにもかくにも、私が現金を好むのは「使ったぶんだけ即座に減るので、残金を勘違いする心配がない」からだ。となるともう容易にイメージができるかと思うが、このタイプの人間はクレジットカードとウマが合わない。
何よりもまず、使った直後に残高が引かれるのではなく、翌月の末にまとめてドサッと消えるというのが難しい。今現在の財力ではなく、来月時点の自分の財力を信じて買い物をしなければならない。余るほど貯金がある者なら「金は回り物」くらいに軽く流せるのだろうが、給料日が来るまでずっと残高三千円、みたいなギリギリを突っ走っている学生にとっては結構な心理的負担である。頻繁にクレカアプリを開いては「再来週の〇曜日に〇万円……。あっ、ここに切符代が加わるからあと〇万要るか……」と不安に駆られる。きっちり収支計算をして一息ついたところに、すっかり忘れていた携帯料金がポンと上乗せされてひっくり返ったりする。
一応、世の中には即時引き落としのデビットカードや、事前チャージの要るプリペイドカードという方式がある。この辺りは使いすぎる心配が無いので幾分か気が楽だ。しかし残念なことに、これらのタイプのカードは信用が低いと判断されるのか、高額な買い物や定期的な取引では使えないということがある。だから結局、我々はクレジットカードと睨めっこしながらやっていく他ない。これから長い生涯、毎月のように「翌月の」口座の心配をし続けるのだと思うと、ちょっと憂鬱。
毎月ふわりと持っていかれるという点で言えば、サブスクも苦手である。毎月定額を収めて利用するタイプのサービスで、クレカの日常使いに比べると額がハッキリしているだけまだ許せる部分があるかもしれない。しかし、ひとつひとつは安くても、いくつかのサービスに同時に加入しているとその合計額は想像以上に膨れ上がる。おまけに、毎月きっちり取られているという意識が、今月もちゃんと活用して元を取らねば……! という強迫観念に変わるのだ。これがキツイ。
私が今現在支払っているサブスクは携帯料金だけである(と話したところ友人に「それはサブスクではなく家賃や光熱費の類だ」と教えられた。そうかもしれない)。世の中には便利なサービスから娯楽まで多種多様なサブスクがあるが、どれもこれも値段のぶんだけフル活用できる気がしなくて、ついぞ加入せずにいる。
買い切り形式の製品なら献血のように思い切ってドカッと貢ぐこともできるのだが、毎月ちうちうと血液を吸われ続けるとなると……。う~ん……。俺も早く立派な社会人になって貴族の遊びができるようになりたい(そんな時が本当に訪れるのだろうか?)。
どうしてこんな話を始めたかというと、ちょっと研究関連の遠出で、到底口座に入っていないような大金を要求されかけたからである。「後から補完するからとりあえず自分で払っといてね」方式は、事務方の手続きとしては楽なのであろうが、うちの学生ならどうせ〇万円くらいはポンと出せるやろ? ワハハ! と肩を叩かれるような感じで、いささか困惑する。まあ都合良くギリギリで生きようという俺の見通しが甘すぎるのはあるが、それにしたってこの額はちょっと、学生が先払いするには苦しいだろう。
さあどこに頭を下げようかと悩んでいたが、ダメ元で「大学の方で先払いして手配できませんか」とネコのように甘えた悲痛な面持ちで訴えたところ、あまり前例の無い面妖な、しかし良心的な手続き方法をなんとか持ち出してきてくれた。いやあ、非常にありがたい。何やら手数料がかかるようだが、その差額も大学が持ってくれそうである。内心では「自分で払ってくれたら安くなるのに……」と思われているかもしれない。いやはや申し訳ない。遠征より給料日の方が早ければ俺もそうしたかった。
やっぱり「後からもらうね」も「先に払ってね」もいまいち信用できない。どうあっても理想は、持っている財産は今ある分だけという世界である。
例えば、中世ファンタジーの宿屋を想像する。ここにはクレカ払いなんて厄介なものは無い。着の身着のまま、この腰ポケットに入っている金貨だけが俺の全てだ。
「ああ、持っているのはこれだけさ。足りるかい?」
「フン、仕方ないね。皿洗いでまけてあげるよ」
「ありがとう。床掃除だって任せてくれ」
そうして夜遅くまで働き、風呂場でぬるい湯を被り、廊下の一番奥の、倉庫と見分けがつかないような汚い部屋に寝転がって、ほうと息をつく。
寂しいだろうか。空しいだろうか?
いや、いっそせいせいするのではないか。ややこしい契約やしがらみのない世界に、最小限の持ち物だけを抱いて生きていられるのなら。
……そこまで来るとさすがにしんどいか。やはりそうなる前に、クレカやサブスクに慣れた方がいいかもしれない。