1044日目 Na Na Natsu!

 

夏だね~。いよいよ夏がやって来た。今週も暑くなるだろうなあ。

じりっと太陽の熱を感じる昼前の住宅街……その年はじめの夏の日にはいつだって、季節の変わり目特有のくすぐったさ、晴れがましさに包まれるものだけれど。今年はなんか、そういうの無かったな。すーっと自然に「あっち~~ふざけんな」に移行した。

イマジナリな少年時代の幻想、ひと夏の休みを過ごした田舎の里山、麦わら帽子のあの子と神隠しに遭った長いながい一日。そんな「ない」思い出の欠落に胸を突かれて、なにかを失ったかのような切なさにはた、と涙がこぼれそうになる、いわゆる「サマーコンプレックス」ってやつ。これも初夏の風物詩のひとつだけれど、年々そういう発作に襲われることが減ってってるような。

 

高校の頃、眠たく無味な授業ばかりの毎日毎日に「帰りたいな」と思い、かといって家に帰っても「どこかに行ってしまいたい」と思っていた、くすぶる少年期の頃。最低限の宿題を終わらせて、自学自習なんてものに身が入るわけもない僕は、親に隠して持っていた中古のスマホをちらちら見ながら夜更けを過ごした。

夏 夜空 風景 イラスト。そんなキーワードが僕を仮初の幻想的な世界に連れて行ってくれる。カメラロールに集めた切なく美しい風景のアルバムに、ノスタルジー、と名を付けた。

こういうのとか。

今思えばこの頃の僕は、美しいところに行きたがっていたというよりも、閉塞的な田舎の受験生の生活から逃げ出したかったのだと思う。当時、高校からの帰りに乗っていたローカル列車の車窓の風景だって、案外ノスタルジックな眺めだったはずなんだけれど、僕が願っていたのは「ここではないどこかへ」ってことだったんだ。

 

窮屈な高校生活をようやく抜け出して一人暮らしの大学生になってから、いよいよその気になればどんなところへでも実際に行ってしまえる境遇になったのだけれど、あれだけ幻想的な世界を求めていたのが嘘のように僕は遠出をしなかった。桜咲く河川敷、静かな神社、夜には車通りがなくなる広くて寂しい道路。そんな「エモい」場所が身の回りにあって満たされていたからかもしれないし、あるいは自由を手に入れてしまった時点で、逃避願望がすっかり不要になったからかもしれない。

院進を機に歴史ある学生街を離れて、僕は東京人としての二十代を歩み始めた。けれど今さら、学部の頃にロクに友達も作らず家に引きこもって過ごしていたことが悔やまれる。もっと〇大生らしい破天荒な四年間、濃い思い出とささやかな友情が残る四年間を過ごしていたら……。

修士になって「研究室」というコミュニティを得た僕にはいろいろな学びがあった。そしてまた、就職といういわば窮屈な生活への逆戻りが近づいてくる中で、出不精な僕にもようやく「旅」への小さな機運が湧いた。働き始めてからサマーコンプレックスがぶり返しても、もう遅いから。マスターは忙しいねえ! なんて言い訳はナシで、今のうちにひとつ、どこでもなさそうなところへ、突然の旅に出てみようか。

 

なんて思ったから、ちょうど一週間前、出かけてみたんだよ。

 

 

それでまあ、いろんなリアルのことを思った。電車、飛行機、車、バス、自転車、フェリー。山へ海へ島へ、短いながらに濃い時間を過ごしたけれど、夢に思い描いたような切ない、あの「夏」とはやっぱり違っててさ。すごくきれいな風景を目にして、僕は涙を流すわけでもエンディングを迎えるわけでもなく、パシャパシャと写真を撮る。スタンプラリーみたいだね。移動中も旅情に浸ってはいられなくて、近くにトイレあるかなとか、そんなことばっかり考えちゃうしさ。薄々分かってはいたけど、ノスタルジーは「場所」が持っているものじゃなかった。苦しい境遇にいるときに想う、本当には手に入らない夏。それが「夏」。

でも――悪かないな、って思う。縁側のスイカも幼なじみも白いワンピースも、秘密基地も山の神社の狐巫女も麦茶ックスも、理想そのままの完璧な夏なんて誰にだってやってこないんだけれど、そういうもんさね、って言い合いながら進まないビールがぬるくなっていく夜が、いつかきっと俺らの夏になる。皮からこねて餃子パーティやったもんな。ぐしゃぐしゃに骨が折れた折り畳み傘で、夜中の公園にホームランかっとばしたもんな。旅行中うどんしか食べてなくて、帰ってへとへとで寝た次の日の昼にかっこんだ松屋の定食、あり得ないくらい美味かったな。

 

なんてさ、まあ、まとまんないけど。焦ってもいいし、余裕ぶっこいてもいい。家と作業場の往復でも、ちょっと遠くへ出かけても、何とでも。

今年も夏が始まります。

 

ブルーアーカイブ Blue Archive OST 121. Na Na Natsu! - YouTube