1035日目 【対談】東京と、地元と。

 

〈登場人物〉

九州南部生まれ。大学は関西、大学院から東京。都市計画専攻。

九州南部生まれ。大学から東京に出て、通算6年目。情報通信専攻。

 

 

 

――6月上旬、平日深夜。割り勘の清算のついでに、のろのろと住宅街を散歩しながら。

 

そういえばさ、研究室のメンツで〇〇県の遠征に行く計画を立ててるんだけど。

へ~いいじゃん。

テキトーに現地集合でゆったり行こうと思ってたら、電車もバスも不便で使いもんにならなくてさ。

東京の感覚で行くと破綻するよね。

そうなんだよな。地元に居た頃はスカスカダイヤなんて当たり前のことだったのに、もう完全に東京者(トーキョーモン)の都市感覚に染まっちゃった。

とりあえず駅に行ってそれから考える、みたいな発想は初めは新鮮だったなあ。でもまあ、6年目にもなるし……。

いろいろこっちの「密度」に馴染んじゃうとさ、正直もう地元に帰ろうなんてミリも思えないな。

地元か~。そうだよなあ……。のどかでいいところだけど不便だし、給料も安い。

お金のことももちろんそうだし、それ以上に、文化資本というか。街の多様性みたいな部分で、俺たちは東京を離れられない気がする。

個性的だよなあ。規模もデカいし。

例えば「バカデカい本屋に行きたい」と思ったら、ピッとやれば池袋にも新宿にも行ける。「パソコンをガチャガチャしたい」と思ったら秋葉原。他にどんなものでも、東京に住んでいれば、自分の足で行けるところにメッカがあるんだよ。

今は地方住みでもAmazonとかアニメのサブスクとか充実してるから、僕らが中高生だった頃よりは手に入りやすくなってるけどね。でも、実物には触れられない。県内にはアニメイト一軒しか無いから……。

首都圏は「駅」という何百もの明確なシンボルのもとにたくさんの人々が集まっていて、一駅一駅、マジでどんな街で降りてもその街ならではの味がする。一方で、地元の実家の周りを思い出すと、まばらな住宅地と広い平野と、デッカいイオンが一件って感じで、なんかすっごく均質的。

都会にはない良さもたくさんあるけど、まあ実際、刺激はどうしても薄いよね。

どうなんだろな。都市計画やってるヤツの意見と若者全体の意見とはちょっと違うかもしれないけどさ、でもやっぱ、フツーに考えて「東京の方が面白い」のは間違いないと思うんだよな。

まあ実際、地方から都会に出てそのまま定着する僕らみたいな学生は多いけど、逆に都会生まれの学生で、観光じゃなく移住者として地方に行く人ってほとんどいないもんね。

地方から東京へ、という引力の矢印は間違いなくあるよ。俺ら田舎もんがずっと「東京」って漠然とした呼称で呼び続けてるのも、それだけ地元とは全然違う、カッコいい象徴性があるからなんだよな。抗えないよ、大都市の魅力には。

僕ら、高校を卒業したときは「将来の我が県を背負う人材に!」なんて背中を押されて来たけどさ、気づいたら、仲イイ連中はみんな東京に集まりつつあるよね。

な。自分らで言うのもなんだけど、まあ、東京やらの名の知れた大学に進学する俺らみたいな学力トップ層は、結局地元には戻らない。口では「過疎化が」「地方創生が」なんて言いつつ、自分は帰る気がないんだから、ちょっと肩身が狭く感じてる。

 

きりちにの原風景:地元の川
(miyaturi.comより)

 

まあでも、僕は地元に帰るのもナシでは無いと思ってるよ。

マジで? こっちの水準の仕事ないじゃん。いや、リモート化が進んだらワンチャンあるってこと?

いや、そういうことじゃない。対面のコミュニケーションはやっぱりどうしても必要だと思うよ。地方に住みながらこっちの水準の仕事を続けるってのは無茶。

だよな。じゃあ、いつ帰るって考えよ。

うーんと。なんか、東京に疲れたとき、かな。

疲れるってのは、都会に飽きて、やることが無いってことか。まあ、言いたいことは分からなくもないけど……。なんというか、それってもはや「生きるのに飽きたとき」と同義な気もしない? もはや、地元に帰ればどうこうって段階じゃないんじゃ。

いやまあ、そうかもだけどさ。なんかこう、もっとリアルなデメリットとして、窮屈だと思うんだよ、東京って。地方にしかない空間のゆとりってものがあるから、それが恋しくなったら、帰ることもあり得ると思うなあ。

東京が狭いのはガチだよな。全く反論の余地もない明らかなデメリットだわ。個人的には、空間の広さはQOLに必須だとは思わないけども……。

それより何より、地方生まれの僕らにとって「帰る場所」の存在は大きいからね。

ほんとにそう。俺の研究室の同期は生粋の東京人なんだけど、いわゆる「故郷」がある人がうらやましいって言ってたわ。

緑豊かなホームポジションがあるっていうのは本当に嬉しいことだなって。

 

金具の原風景:地元の山
(yuttarisan2011.sakura.ne.jpより)

 

あと、もしも将来、子どもができるようなことがあったとして。

無理だよそんな前提。

そんなん僕が一番分かってるよ。

失礼しました。

子どもを育てるならやっぱり地元かなと。いい環境を求めたいからね。

いや、う~ん……。そこは結構異論があるかも。でもまあ、聞かせていただこう。

関東育ちの学生と一緒に学びながらつくづく思うのは、こっちは根っからの「競争社会」なんだなってことでさ。

それは間違いないね。肌感覚でそう思う。

うん。子どもが小さな頃から、小学校受験があって、中受があって高受があって、塾にも通わせて、そういう莫大な教育投資が当たり前の世界で、ものすごい数のライバルと競争しなきゃならない。それってすごく忙しくて息苦しいなって思わない? 学力で頂点を目指すばかりが人生じゃない、いろんな生き方があるんだって思える、そんなのどかな風土の中で育った方が子どものためになるんじゃないかな。

うんまあ、一利はあるかも。……いや、でも俺は逆だな。

ほう。

考えてもみてほしいんだけど、俺たちは地方で育ってこっちに来て、大きな差を実感したと思うんだよ。それは選択肢の数の差だったりとか、文化資本の差だったりとか。

まあ、何か珍しいことをやってみようと思ったときに、すぐ近くにチャレンジの場が見つかるのは、地方ではなかなかないことだよね。

なんとか教室だとかなんとか体験会だとか、たくさんの選択肢を首都圏の子どもたちは持ってる。仲間も見つけやすい。これは想像だけれど、東京はお受験一辺倒の社会だって認識はたぶん間違ってて、実際は上にも下にも左右にも、いろんな方向の生き方の裾野が広いんじゃないか。

そうなのかなあ。

それで、ちょっとまあ根本のところに戻ると、子どもができるってのは再生産に近い部分があるから、俺やあんたの子どもはきっと、親と同じように学力方面で身を立てる可能性が相対的に高い。それだのに俺らの中高時代と同じように、地元のスパルタ県立高校で無理くり頑張るしか上に伸びる方法がない、なんて環境を用意するのが本当に正しいことなのか。

ちょっとなんとも、YESとはいいづらいね、さすがに。そう言われたらそうだ。

あとはまあ、これは専攻分野で得た知見なんだけど、結局のところ東京23区や横浜市みたいな儲かってる自治体は、豊かで先進的な教育福祉施設をバンバン立ててて、それを住民に無償で開放してるのが常だからさ。まあ要するに、心強いよ、都会の福祉は。

やっぱり資本力の差は大きいのか……。

ゆとりのある環境で育てたいってのは全面同意だけど、都心へのアクセスが容易な郊外か、もしくは地方都市の中でも先進的な施策をやってるところを選ぶのが良さそう。そして、少なくとも現時点では、俺らの地元はきっと最適解じゃない。

う~ん。結局、リアルな予想図を描こうとしたら、埼玉か千葉か神奈川か、そういうところで適度な広さの家に住みながら東京圏で生きるってことになるのかもなあ。

 

 

――このあと、歩きすぎて足を痛めた我々はめいめいに解散した。そして学マスを起動し、架空の女の子の育成に心血を注いだという。