849日目 野戦病院ごっこして寝る😪

 

お腹が張った状態で布団に入る夜ほどつらい夜はない。眠るときくらい健やかな万全の状態で居させてくれよ、と誰のせいにもできない恨みが宙へ消えていく。

だが仕方ない。たまたまこれまでの夜が、幸運なことに苦痛を伴わなかった、ただそれだけのことだ。体質の個人差や、年齢的に応じたコンディションの兼ね合いで、運良く俺が当たりくじを引き続けていた、それが今日は途切れたというだけ。

話は体調に限らず、人生そのものの幸不幸だってそうだ。たまたま俺がここ数年、大学生という縛りの少ない立場を得て、なおかつ経済的な支援を受けてある程度の自由が効く生活を送っている……それは人間にとっての当たり前ではない。

思い返せば、中高の俺は閉鎖的なルーティンの中で雁字搦めになり、学校にいても家にいても「どこかほんとうのところへ帰りたい」と思い続けていた。精神的・肉体的自由から逃れたい願望はどこかにあったが、その束縛が「ある」のは日々の当たり前だった。

されば、じきに始まる社会人というステージもそう。日々早起きして、遅くまで働いて、十分に休まらぬうちに次の朝を迎える……それは大変なことだが、人間にとって決して異常なことではない。歴史を振り返れば、人間が明日を生きるために必死でなかった時代などない。何なら現代だって同じだ。経済的援助を受けて「人間らしく」気楽に過ごすことが当たり前になっているのは、ほんの一部の若者だけ。そうでないほとんどの老若男女は、自分自身や周りのステークホルダーの生命のために、汗水垂らして「人間らしく」苦しい人生を送っている。

……そう、ただそれだけのこと。なんだかちょっと、ここ数年の俺がやりたい放題すぎただけ。

それでなくてもさまざまの不調を感じ取ることが増えてきた俺は、これから瞬く間に老い、やがては寝ても覚めても身体のどこかが痛むのを当たり前として受け入れ、あるいは生物の天命として大きな病を患い、不味くして何か尊厳に関わる大事な機能を失ってもなお死ぬことは許されず、それが当たり前なのだ、動物の一生は苦しくて必死で、それが本来の姿なんだ、などと諦めながら安らかに解放される日を待つしかない。

……などと書いている間に、すこぶる体調がおさまってきた。体が健康体に近づけば、たちまち人間は深遠な悩みを忘れ、今夜はどんな夢を見て寝よう、なんてことを考える余裕が出てくる。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことを繰り返して生きていく、そんな間抜けさもまた、いかにも人間らしいお調子者の遺伝子なのかもしれない。