大人になるということは、自分が「特別」なんかじゃないって認めることだと思う。より正確には、自分が万人億人の中でたった一人秀でている「特別」な存在だという幻想を捨て、身内の限られた大切な人にとっての「特別」で俺には十分だ、と妥協すること。
中高生の頃の自分の、努力を伴わない身勝手な野望や妄想、ないものねだりの傲慢な承認欲求を思い返すと、今のきりちに青年は随分と大人になったと思う。気心知れたごくわずかなフォロワーが読んでくれれば、それでいい。たったひとつの感想をもらっただけでたいへんに満足する。そんな謙虚なメンタリティを獲得するまでの間、さんざん神創作者への嫉妬に狂ったティーンエイジの期間こそが、俺が乗り越えるべき「思春期」だったのだと今は穏やかに理解している。
けれども、疼くんだ。ある日身内と話しているときに、ひょんなことから「実は密かに、こいつは大バズ創作者なんだ」と気づいてしまうと。ましてや「俺も『作る』側ではあるんだよね……まあ1ケタいいねしかつかないけど笑」なんて、謙遜しながらカミングアウトする羽目になると。
驚き。恥ずかしさ。逆恨み。さ
(眠い眠い眠い。さようなら)