423日目 耽る夏の終わり

 

ああ、夏が終わってしまった。

肩の荷を下ろして過ごした一ヶ月間の夏休みは気楽だった。たびたび湧いてくる悩みも、知らんふりしていればどうということは無い。やらなければならないことは知っていつつも、もうしばらくは忘れていようという余裕を持って過ごしていた。

けれども夏休みはいずれ終わる。いつまでもインターバルの期間ではいられない。これからの半年間は、遊び惚けずに卒研に打ち込まなければなるまい(え? 普通は卒研に夏休みなんかありませんよって? あーあー聞こえなーい)。

さらに言えば、来年は講義の履修とインターンに追われ、再来年は就職試験が終わったのも束の間、春まで修論に明け暮れることになる。その次の年はもう就職だ。したがって、昨日までの呑気な夏休みは、人生最後の超大型連休だったということになる。

そういうわけで、今朝は久々に気が重かった。名残惜しさを引き摺りながら自転車を漕ぎ、遠地の研究室へと誘う電車に乗り込んだ。

 

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研究室のデスクにずっと座っていることができない。どうも敵地にいるようなムズ痒さがする。大抵、数十分も座らぬうちに我慢できなくなって外出し、喉も渇いていないのにコンビニでペットボトルを買う。今日はルイボスティーにした。奇妙な味だ。

じっとできない理由は明白で、僕は研究室に居ても「これを読もう」「あれを調べよう」という自発的な行動ができないのだ。努力ができない人間に、卒業研究なんてできるはずがない。「自主性」という言葉は自分を責めるためにあるのではないかとすら思う。

あと数日もすれば研究報告会があるのだが、案の定テーマすら決まっていない。あまりに不安なため、教授を見つけてそれとなく言い訳をした。うちの教授は気のいい関西人で、根は優しい紳士なのだが如何せん言葉がキツい。彼にとっては何てことのない返答でも、僕みたいな南国育ちのお坊ちゃんの胸を抉るには十分だった。

自主性もなくてメンタルも脆い。そんな自分をいつも通り悲観しているうちに、晩夏の日は暮れていく。日の入りも早くなったものだ。

 

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教授にメデタイことがあったとかなんとかで、ゼミの後に飲み会をした。秘書さん特製の絶品手料理が振舞われ、陽気な先輩がギターを弾いて歌ったり、書をしたためて記念写真を撮ったりする。そんな中を僕は、適度に手伝って相槌を打って飲んで笑って、なんとか普通に溶け込んで楽しんでいた。

昨日読んだマンガに「コミュ力というものは自分から飛び込んで傷つかなければ鍛えられない」という文言があり、非常に胸が痛かった。人との交流に消極的なくせに「知り合いが少ない」だなんてぼやいている僕の愚かさを、ダイレクトに突かれた気がして。

けれど、今宵の飲み会に浸っているうちに、こうやって僕も少しずつは成長していっているのかもしれない、と思う。不器用で空気が読めなくて、世間話のその先の話に進む勇気はなかなか出ない自分だけれど、それでもこういった席に最後まで参加しているのは、素直に立派だ。

たまにはちょっぴり、自分を褒めてみるのも一興だろう。

 

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国公立大の工学部と聞けば、陰キャ男子がバラバラにうろついているさまをイメージする。だが実際は、華やかで社交的な人も結構多い。うちの研究室は紛うことなき工学部だが、女子の先輩だって当たり前に複数人いるし、男子だって大半はオシャレ。ほとんどは恋人持ちか、そうでなければ遊び人のチャラ男だ。

そんな中で僕は……まあ日頃のツイートを見てもらえば分かると思うが、恋バナになるような人生は送っていないしそういうモチベーションもない。なんせウマ娘に頭を支配されているような男だ。スマホにはマッチングアプリのマの字もない。

したがって、先輩たちの恋バナ(同級生じゃないのがミソ。僕は同い年と話すのが苦手だ)を聞いているぶんには面白いのだが、自分に話を振られるとたいへん困ってしまう。それで当たり障りのないつまらない答えを返すと、向こうは「なるほどね~」と微笑みながらまたチャラ男の方に話を戻す。何やらセクハラに近い発言が聞こえるが、女子たちも全く気にしていない様子だ。

結局、彼らメインストリームからすれば、僕のようなオタクの価値観は想像すらできないのだ。もちろん、逆も然り。それがどうこうというわけではない。どうこうというわけではないのだが、彼らと腹を割って話すのはどうやっても難しいだろうな、と少し寂しく思う。仲良くなりたいが、なんせ思考回路からズレているのだ(僕が)。

絶妙に盛り上がらない会話をしているうちに電車が止まり、優しい先輩はにこやかに「じゃあね~」と手を振りながら降りて行った。あとに一人残されて、じっと座りながら思う。たとえ価値観は合わなくても、ある程度世間話が通じるというだけで、十分ありがたい出会いに巡り合っているのではないかと。