254日目 今なら私、

 

ラボの帰りに、電車を乗り換えようとしたその足で、私は繁華街へと出向いた。歴史ある木造の橋を渡り、柳の木が覆いかぶさる水路を越えれば、やがて街いちばんの目抜き通りが見えてくる。

 

夕方五時も回らぬうちに、がら空きの店で優雅な夕食をとれるのは、大学生の特権だ。お誂え向きの焼肉屋を見つけて、ひとり酒池肉林としゃれ込もう。誰にも邪魔されることなく、コップ一杯のビールをぐいっと呷る。

 

腹を満たして店を出た私は、一目散にゲームセンターを訪れた。階段の傍のベンチで悪態をつきながら、騒がしい場内と一体になっていく。都会の雑音に紛れて個性を失うのも、なかなか良い心地だ。むっくりと立ち上がり、両替機を探しに行く。

 

ゲームをする手許が覚束なくなる頃合いに、ビルを後にして再び通りへ出た。すっかり夜が降りてきている。街を歩く人々はみな、サラリーマンからヤンキーへ、女子高生から水商売の嬢へと姿を変えた。

駅へと歩く私もまた、悩みや不安を今だけは忘れていた。爛れた都市の雑踏に、こんなに体が馴染むだなんて。

 

ふと立ち止まって、振り返り、誰へともなくこう言うよ。

 

「今なら私、死んでもいいわ」

 

 

 

 

「う~ん!! 0点!!」

 

 

「えっ!?」

突然現れた奇妙な風体の男に、思わず素っ頓狂な声が出た。一体何者であろう。

「だから、0点と言っているんだ。日記のオチというものがなってない!!」

男は不満げな面持ちで、興奮を交えて語り始めた。

 

「いいか? 私がつまらないと思っているのは『死んでもいいわ』というセリフだ。物語の締めとして死を持ち出すのにはもううんざりだよ。

いえね、なにも『死なんてものは陳腐な発想だ』だなんて言っているわけじゃない。古今東西のあらゆる物語で、死という舞台装置は効果的に使われているからね。だが、それは上手い仕立てと演出があってこそのものだ。特段の思い入れも無い人物を『それっぽい味わい』のためにあっさりと殺して、それで読者に衝撃を与えたと独りよがることほど馬鹿げた話はない。

あるいはこう表現してもいい。死に『意味』は不要だが『意義』は必要だ、と。すなわちこうだ。物語でひとりの男が化け物に惨殺されたとする。それは物語世界においては、文字通り『無意味な死』に他ならない。だが、物語の外からそれを見ている読者が、彼の死から世界の厳しさを目の当たりにしたり、義憤に震えたりしたとすれば、それは『意義ある死』だったと言えるのではないか? そこまでの効果を与えうる筋立てがあって初めて、死という使い古された舞台を再演するに足るのではないか?」

 

勢いに圧倒されている私に、なおも男は息を切らしながら話し続ける。

「ともあれ、最終的な私の提案は『死以外のより優れたオチを使おうではないか』ということだ。先ほどの貴君の語りは、不安に溢れた根無し草のごとき生活に、得も言われぬ大きな満足を感じたという筋であった。だが、今なら何をしたって構わないという文脈で『死んでもいいわ』と締めるのはあまりにもひねりが無さすぎる。どうだろう、ここはひとつ、誰も使ったことのないような驚くべきセンテンスで、今宵の満ち足りた心を表現してみようではないか」

 

 

さあ、と男に背中を押されて、私はゲームセンターの前まで戻ってきた。

すっかり夜が降りてきている。街を歩く人々はみな、サラリーマンからヤンキーへ、女子高生から水商売の嬢へと姿を変えた。

駅へと歩く私もまた、悩みや不安を今だけは忘れていた。爛れた都市の雑踏に、こんなに体が馴染むだなんて。

 

ふと立ち止まって、振り返り、誰へともなくこう言うよ。

 

「今なら私、親知らずを抜いたところが三日三晩痛んで世界の全てを憎んだっていいわ」