代謝、といえばいいのだろうか、皮脂を分泌したり、老廃物を出したり、生きている限り一秒たりとも止めることのできない人体の汚らわしい仕組み、死ぬまで付き合っていく体調というものに強い嫌気がさしている。そして、潔癖な者や身体が弱い者、心に不安を抱える者にとって、社会標準の「毎日」の設計(仕事の制度、交通機関、ほか……)はタフで窮屈だ。外出を伴うあらゆる活動が、端的に言って苦痛。叶うことならば家から一歩も出ずに、自分のペースを守って過ごしたい、と弱気になるばかりの近頃に陥ってしまった。
お天道様の下をノシノシと闊歩している大多数の人々は、生理的嫌悪感とか不安性とか、そういうものに雁字搦めになることはないのだろうか。汗やら血やら何やら、体液や排泄物に対して寛容な人々は、言い換えれば、自分や他人やその他の生き物に対して寛容な人々でもある。その境地に達するにはどのような壁を乗り越えてきたのだろうか。
今の俺には無理だ。明日の自分の体すら信用することができない。ウェット感を取り除いた、しなやかさとやわらかさだけを理想のまま保存する人工皮膚のようなものに、覆われていたい。俺の境界も、あの子の境界も。