403日目 スーパーまひんブラザーズ3

 

きょうだいと話すとつくづく思う。俺たちは全く同じ血筋に生まれ、全く異なる環境で育った者同士なのだなと。

日々の生活、勤務/学習態度、趣味嗜好、何を取ってもそれぞれ違う。価値体系やら友情観やら恋愛観やら、ひとつとして同じものはない。恋に生きる陽キャのあいつに、陰キャオタクの俺、そして半陰半陽でクールなお前。これまで付き合ってきた友達や、取り組んできた部活が違うのだから、人となりに差が出るのも当然だ。だから、口では「わかるわ~」と言いながらも、心では常に驚き通し。それがきょうだいとの会話だ。

だが、人間性の根底にあるものはよく似ている。ふと気を抜いたときに口をついて出る間抜けな言葉に、両親の面影が見て取れる。良い性格も悪い癖も、全ては血脈として受け継がれてきたものだ。軋轢の生じない、穏やかでヘンテコなきょうだい関係に、文字通り「遺伝子レベルで合っている」という感覚を覚える。

とりわけ最近は、親父への親近感が増してきた。俺が実家にいた頃は、真面目で堅物で、近寄りがたい親父だった。けれども近頃は、押し殺していた無邪気さを隠さなくなり、珍妙なギャグを飛ばしたりしているらしい。それでこそ俺の親父だ。もし彼の学生時代にツイッターがあったら、きっと「まひん😮❗」などとツイートして顰蹙を買ったに違いない。

我ら生まれた日は違い、死すときも同じ日・同じ時を願いはせずも……。共に親しんだ、母の牛丼の味は同じなり。

 

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マックのモバイルオーダーで、ワンタイムパスワードを要求されるようになった。パッと手軽に注文できるのがモバイルの良さなのに、毎回せっせと認証手続きをしなければならないのは骨が折れる。

 

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豚骨の文化圏に育ったからか、麺を食べるときにはどうしてもこってり系を期待してしまう。東になるほど増える、醤油ベースの黒いスープをウリにしたあっさり系の麺には、正直ガッカリすることが多い。

だが、つい最近食べた「富山ブラックラーメン」はなかなか美味だった。紛れもなく醤油で勝負している真っ黒いスープのラーメンだが、味付けがしっかりしていて食い応えがあり、それでいて喉に残るウザったるさが無くて食べやすい。赤い丼ぶりとスープのコントラストも華やかで、満足感のある一杯だった。

進んでリピートしたいほどのインパクトは無かったが、また近くに寄ることがあれば暖簾をくぐってもいいかもしれない。それくらいの程好い存在だ、美味い醤油ラーメンというのは。

 

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鏡を見るたび自分の引き締まっていない体に失望を覚えるが、まあまだ許される範囲のぷにぷに感なのではないかと思う。多少ふっくらしたおっさんの方が、エッジの立ったおっさんより好感を持たれやすいというデータもあるし(ヒカキンが最たる例だ)。だが、悠長なことを言っていると紛うことなき肥満体になってしまいそうなので、周りに呆れられないくらいのギリギリ健康なラインを維持していく所存だ。

 

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布団に入って寝ぼけていると、頭の中で想像しているゲームのキャラと自分自身との境界が曖昧になって、ふと「俺って可愛いな?」と思うことがある。これは重篤な症状だ。それに何の裏付けもない。夢を見るのは寝ている間だけにしたい。

 

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絵文字は可愛い文化だ。可愛いので親父とのラインでも絵文字を(現実的な範疇で)使っている。しかし、これは教育上問題があったらしい。今では親父の方が絵文字ヘビーユーザーになり、端的に言えばおぢさん構文を送ってくるようになってしまった。正直面白い。だが、職場の新人などにこれを送っていたらと思うと申し訳なくなる。

そして、面白がってはいるが、そういう俺の絵文字遊びも傍から見れば気持ち悪かろう。それに、このノリをおっさんになってから部下に披露したら、瞬く間に嫌われるに決まっている。絵文字のみならず、ツイッター構文と言われるようなお決まりのものだって、近いうちに下の世代へのハラスメントになりかねない。

くれぐれも言葉遊びは、公私を混同しないことが大切だ。周囲の人々と良好な関係を保ち、好感を持たれる中年になりたければ、フォーマルとプライベートの切り替えを大切にしていかなければならない。

 

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この世は揉むか揉まれるかの戦争だ