1009日目 妄想の翼を広げて……

 

いかん。妄想という魔法を自分にかけることのできない年齢になってきている。かつて小さな頃にはワンボタンの傘のようにバサバサァッと広げることのできた想像の翼が、今や羽が抜けるようにぼろぼろと跡形もなく消えていく……!

幼稚園生の想像力は豊かだ。はっきりと記憶に残っている原初の妄想では、僕は栗鼠(りす)だった。ある晩秋の寒い日、早起きの母がぱたぱたと台所に立ち、ぬくもりの残ったやわらかい毛布にひとり包まれているとき、ショタきりちにはこう考えた。僕はリスさんだ。林の中の落ち葉だまりに体をちぢこめるようにして、寒く厳しい野山のひと冬を、春を迎えられるかも分からない心細さの中に眠っている孤独な栗鼠……。

十代の頃となると、もちろん日々さまざまな想像をして生きていたはずだが、今でもよくよく覚えているのは野球チームの妄想だ。中学生になりたての頃か、半ばくらいか。当時の僕は、昼間は授業を聞いたり寝たりし、放課後はテニス部でしごかれて大汗を流し、そして夜は布団の中に隠れてニンテンドーDSの野球ゲームを深夜までやっていた(だから日中に眠くなるのだ)。かなりのやり込みようで、チームがひとつできるくらいの数のオリジナル選手がいる。そして僕は、一人ひとりの守備位置や能力、さらにはゲーム中には描かれない性格や声までよく知っているのだ。さあ今夜もこの時間がやってきた、輝かしき我がチームの先発メンバーの登場だ。一番バッターは無論この選手、イケメン中堅手の……といった流れで、一人ずつ脳内でカッコよく紹介していき、大体五番か六番バッターに回らないくらいにはスヤスヤと眠りについていた。あの短い睡眠時間でよく病気もせず育ったなあ(授業中に寝てたからじゃないか?)。

その他にもとにかくいろいろ、スケベなやつも含めて妄想をとっかえひっかえしつつ成人の歳を迎えたが、では妄想が思春期ティーンだけに許された特権なのかというと、それは違う。痕跡によると2021年……つまりまだ日記を書いていない大学二年の頃だが、その頃俺はミリタリーのテイストを甚く気に入っており、毎晩のように戦場の暗闇の世界へ身を横たえていた。買ったばかりのワイヤレスイヤホンでYoutubeの焚き火のASMRなんかに浸りながら、冬の敵地の雪山で遭難した二人が、すぐ傍を行軍する敵兵にいつ見つかって殺されるか分からない恐怖に怯えながら、草むら、小屋、あるいは狭い洞窟の中で、じっと体を温め合って夜を過ごす……(そしてどちらからともなく間違いへ……)という想像をぼんやりと温めて、ようやく眠りに落ちることができたのだ。よくよく振り返ると「冬」「野山」「死」といったテーマは幼稚園の頃の栗鼠のそれと似すぎてやしないか。当時から素質があったのだとしたら笑えてくる。

ところで、一般におじさんおばさんの言では「子どもたちは想像力が豊かでエエね~!」とされているが、一概に子どもとは言い難い二十一の頃に、どうして俺は安定した妄想期を迎えていたのか。それはひとつには、布団に入ってから頭の中で振り返るべき「今日」がなかったからだと言える。どういうことかというと、当時の俺は実質的に引きこもりだったので、他人の顔が夜にちらつくほど外界との交流が無かったのだ。狭いワンルームの外に出るのは日中の買い出しのときくらいで、後はずっと家にいてゲームに齧りついているか、インターネットを眺めている。だから目を瞑って浮かんでくるのは、コンテンツの湖を泳ぐ非実在の存在たちばかり。現実の社会に邪魔されることなく、陰鬱ながらものびのびと想像の中に浸かっていることができた――。

それで、話は冒頭に戻る。不肖きりちに、来年に就職を控える修士学生。俺はいま、かつてあんなに大きく広げることのできた想像の翼を失おうとしている。理由は例えば、単純に少年期からの年数が嵩んできて、楽しい妄想にグッと没入し続けるだけの集中力が欠けてきたこと。引きこもりを脱して研究室やアルバイト先との交流がグンと増えたことで、眠りに落ちる前の数分間がその日会った人々の顔を思い返す時間になったこと。そして、徐々に近づく社会進出のリアルに頭を支配され、予定だらけのカレンダーの中、まるっきり責任感を放棄してめくるめく妄想の世界に全身を投げ出すということができない「大人」になりかけている……。

 

「それで? 何が悪いんだい」

傍で退屈そうに寝そべっていた君が、興味なさそうに口を開いた。

「やっと大人になろうとしてるんだろ。良かったじゃん」

「俺は良くないんだ」

答えながら半身を起こす。

「寝ても醒めても現実のことばかり考える。それが大人なんだとしたら、真っぴらごめんだ」

「ふうん」

「集中力が無くなっていくのを自覚するのも嫌だな。老化に転じているのを見せつけられるみたいで」

「気が早いよ、まだジジイじゃないんだし」

「それに」

寝返りを打ちかけた君の丸い腰に、そっと手を回す。

「君と寝られなくなるのは、ちょっとつまんないな」

「……へえ」

ちょっぴり見開いた君の瞳は、獣。

「なんだ。忘れられたかと思ってた」

 

ああ。今日は久々に、ノイズのない夜の逢瀬を楽しもうと思ってるんだ。

土日まるまるの研究の進捗と引き換えに、な。

 

 

 

あああああ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!😭