『ニチニチ草はボタニカル・ライフの初期の頃から、俺のベランダにいる。』
この一文から始まる、いとうせいこう氏のエッセイがある。
ベランダで植物を育てている筆者が、ニチニチ草にフォーカスを当てて書く、至って平穏な5ページ。
巧みな比喩を用いて草を褒めたたえ、芸能からの引用で造詣の深さを披露し、丁寧な言葉の中に荒っぽい男らしさを香らせる。それでいて、所詮しがない独身男の独り言さ、というスタンスを貫いている。ハードボイルドなのになんかダサい、でもそこがイイ——とでも言うべきか。
賑やかな秋を過ごしたニチニチ草が、やがて『バトンの最後の一本』を落としたとき、筆者は図鑑に目を落とす。『ニチニチ草は一年草なのだ。』
しかし、彼はそいつを引っこ抜かなかった。しぶとく成長するニチニチ草を、ベランダの様々な環境に斥候として派遣した。他の植物のためにはたらくペースメーカーとして重用したのである。
そして一年が経った、夏の終わり。一年草であるはずのニチニチ草が『茎の先にまたもバトンを持った』のを見て、筆者は感涙する。
『あれほどきつい任務につきながら、貴様はまたも例の運動会を催さんとしているのか! 働くにもほどがあるぞ、ニチニチ! 俺は号泣し、号泣の一方でかたわらのバジルの葉をつんだ。』
……という風に、感動のさなかにシュールを持ち込むあたりも、筆者お得意の好ましい照れ隠しである。
エッセイの最後は、ニチニチ草が今年の冬も斥候を買って出たがっている、という内容で締めくくられている。
さて、ここからが本題である。
いとう氏は一体、この日常小編にいかなるタイトルをつけたか。「ニチニチ草の話」か、あるいは「一本のバトン」か、はたまた「ニチニチ斥候兵」か。
彼が出した答えは、こうであった。
『ペースメーカー・ザ・グレート』
——なんとイカしたタイトルであろうか。文中に一度も顔を出さなかった「グレート」などという言葉を持ち出して来て、何やらカッコよく聞こえる英語を、なんとカタカナで。その妙な、ヘンな言語センスが、一周回ってハードボイルドに見えてくるのは、僕だけだろうか。
これまで僕は、数多のエッセイを、繰り返し繰り返し読んできた。しかし、いま自分が書いている日記を読むと、いとう氏からの影響が特に大きいように感ぜられる。「ダサくカッコつける」ことが、僕のひとつの目標なのだ。
願わくば、タイトルのつけ方も、彼のようでありたい。『ペースメーカー・ザ・グレート』のような、なんとなく外れているのに合っている、そんな素敵な言葉が降りて来やしないだろうか。
そう思って、過去の日記を探してみた。
ぱっと見つかったのは、これでした。