983日目 古傷と向き合う

 

過去に自信満々で公開した創作物が、後から黒歴史となって自分を苦しめる、ということをよくやる。熱しやすく冷めやすい性格で、一時的に舞い上がって量産体制に入るが、冷静に見返すとあまりにも稚拙で、恥ずかしいことこの上ない。生半可な完璧主義のせいで、出来の悪いものは全て消し去りたくなる。

こういう話を過去にも書いたことがあるが、そのときはどちらかというと情緒的な部分に寄っていた。今回はもう少し具体的な、作ったモノの中身と現在の捉え方について書き記しておきたい。誰のためでもない、ただ自分で自分の傷を舐めるだけの文章である。

 

漫画

ものすご~~く昔のことを振り返ると、きりちに少年にとって初めての外に向けた「創作物」は、小学校時代に描いていた漫画であった。自由帳2冊分くらい描いていて、仲の良い同級生に見せて回った記憶がある。

まあ、小学生のやることなんてのはまだかわいい遊びの範疇なので、さすがにそれを十字架として背負っているつもりはない。ただただ現物が発掘されないことを祈るだけである。

 

音楽

中学くらいの頃に、どっかから手に入れた中古スマホで作曲をしていた。意気揚々と投稿した楽曲の数は全部で十数曲に上り、非公開だが一応データが残っている。

とはいえクオリティは到底聞けたものではない。目立ちたがりなきりちに少年にとって「コンポーザーな俺かっけェ~!」だけが全てであり、品質の追求とか、そのための時間的努力とかとは無縁であった。

 

SNS

作品……ではないが、承認欲の発露の最たるものとしてTwitterアカウントがある。いわゆる厨二病の全盛期に、まさしく暴走機関車とも言うべき八面六臂の活躍をしていたが、もちろん全アカウント消去済みである。

きりちにに休眠アカウントの概念は存在しない。何故なら全て消してしまうからである。

 

文芸

高校時代にいろいろやっていた。短詩の分野では結構見栄えのする実績を持っている。それゆえ、黒歴史ではなく輝かしい思い出として胸のアルバムに刻まれており、貴重な救いでもある。

一方、散文分野は散々であった。少なくとも、実名が載る文芸誌であんなものを出すべきではなかった。今でも実家の本棚のどこかに並んでいるが、怖くて開けやしない。

 

ゲーム

大学1年の頃をピークに、チームでゲーム制作していた。これに関しては黒歴史とは思っておらず、今遊んでもしっかり面白い出来である。

ただ、プロセスには心残りがある。端的に言えば、バンドに喩えるところの「音楽性の違い」を埋めることができなかった――滾る情熱の温度や、外部の協力者に対する責任感の度合い――。また、メンバーの意思疎通のスタンスの違いもあり、そこに不信感を募らせた時点で、もう自分にやるべきことは無くなってしまった。

 

建築設計

一切やる気がなかった。当然、力作もなければ黒歴史もない。今頃はどこかの焼却炉の灰になっているだろう。一応、専攻分野のはずなのだが……。

 

動画

学部時代の中頃にネタ系のMMD動画にハマり、ついには自作して公開するまでになった。が、一人で盛り上がっているときには気づかないものの、後から客観的に観直すとかなり寒い。思春期を過ぎてもなお黒歴史を生んでしまうという事実が恐ろしい。あらかた削除してしまった。

ただ、一本だけ踏ん切りがつかず、公開されたままの動画がある。割に合わないくらい気合いを入れてアニメーションを作った記憶が、なんとなくその背中を支えている。

 

昨年の夏頃に、日記の末尾に「まいにち〇〇のコーナー」として手描きの模写を挿入していた。今、過去の日記を振り返って紹介するときなどに、当該期間の日記は参照しないようにしている。シンプルに下手で恥ずかしく、わざわざ掘り起こしたくないという思いがある。

絵という創作物は最も視覚的に分かりやすく、それゆえ自作品に対する目も厳しくなる気がしている。

 

文章

言わずもがなこの「きりちにっき」のことである。作品というよりはコミュニケーション・ツールに近く、また我ながら「下手ではない」と思っているため、今のところは消える予定はない。ただ、初期の記事などを読み返すと既に恥ずかしく思うところが出てきており、将来どうなるかは何とも言えない。

どちらかというとPixivで書いているSSの方が危うい。まあしかし、コスプレまでして即売会に出るという暴挙を成し遂げているので、もはや開き直りのフェーズに入っているかもしれない。

 

以上。思い出せる限りの大物はこんなもんだろうか。無論、些細な恥を数えればキリがないほど出てくるのだが、その辺りはもはや記憶の中だけに疼いており、痕跡がないと言えばない。今後も末永く向き合っていくことになるのはどちらかといえば、投稿という儀式を経てアナログ/デジタル・タトゥーとなったモノたちであろう。

黒歴史とは発作であり、ある種のまやかしである。何も僕だって、常日頃ずっと過去の恥について考えているわけではない。これを書いているのは早朝である。たまたまあれこれ思い出して心が不安定になったから、それを落ち着けるために必死で文章を綴ったに過ぎない。本来、自らの承認欲求が引き起こした自傷歴なんてものは、大して気にしない期間も長いものだ。

ただ、過去にあれこれを生んでしまった自覚がある人間は、今後においても何かと新しい生傷を作ってしまう心配がある。そのときに「またやらかした!」と赤面しないで済むように、昔を振り返ってケーススタディしておくことには一定の意味がある。例えば僕にとっての発見とは、創作物はクオリティが高ければ黒歴史化しない。つまり、急な思いつきでやることであっても、公表するからには品質を高めるための努力を惜しまない方がいい……ということだろうか。

 

余談

過去の自分を振り返るにあたり投稿物などを見返したら、高校卒業間際に「かわいいおんなのこメーカー」で作ったと思しきキャラクターを発見した。つまり、今から5年前の性癖である。

 

 

う~ん!! 好きそう!!!!