618日目 爛れる銅線

 

金曜の夕方、研究室を退くその瞬間までは、四月らしく前進的で直立したモチベーションを持っていたはずなのに。

たった二日の週末休みを挟むだけで、完全にスイッチが切り替わってしまう。

社会に向かって開かずに、インターネットと美少女と古い友人のことだけを考える時間。その甘美な重力。

砕けて解けて、講義も研究も忘れて。無意味の明後日へゆったり流れゆくひとときは、いたく健やかだった。

 

けれどもそれは、豊かで充実した時間たり得ない。深みに引きこもっていた学部半ばの頃に比べれば、今はもう、どっぷりとゲームに浸かろうという欲が失せてしまっている。

どうやらもう、巡って来ているらしいと分かる。いよいよ「先」を見るべき季節が。

本能的に感じ取る、夏休みの終わり。余韻を味わう心の置き場は、この胸の内に無い。

 

しかし、一方で……秋の深まりは必ずしも、機が熟したということを意味しない。棚に並ぶには程遠い、青いままの果実。

就活。研究。何から何まで。今はそれらを「やるべき」ときになったというだけで、それらを「やれる」状態に仕上がったかと言われれば、そんなはずもなく。

 

徐々に、徐々に細く爛れていく。焼き切れかかっている。

オンになり切れず、オフにも浸かれず、日ごとに繰り返すスイッチング運動の真ん中にある、辛うじて持ちこたえているだけの一本の銅線が。