263日目 ナゾの答えは地図にあり!

 

ちょっと今日マジで知的好奇心をモミモミする大発見があったのでちと興奮気味です。落ち着かなすぎて、逆に意図が伝わらない文章になったらどうしようかな。どうしよう。えへへ。

 

コホン!

 

さて。私が新天地に引っ越してきたことはご存じですかね。学年が上がって、講義を受けるキャンパスが変わったので、ふもとの町に居を構えたわけです。

それでですね、長距離移動や高低差への対応ということで、バスに乗る機会が出てきたのですが……。

 

この地区のバス路線、ちょっぴり不思議なんです。

 

 

電車の駅から大学方面へ、何故か2つの路線が並走しています。複数あるバス会社のそれぞれが、北を通る路線と南を通る路線とを、両方敷いているのです。

青色で示した南の通りは道幅が広くて、バスが走るには絶好の場所。商業も賑わっていて、多くの利用客が見込めるでしょう。

しかし、すぐ北にある赤の通りにも、結構な高頻度でバスが走っています。細くて曲がりくねっていて、すれ違いも困難な道なのに。

 

ここにひとつの疑問が浮かびました。

①すぐ南にある大通りにもバス路線があるのに、どうしてわざわざ、狭くて危険な北側の道をバスが走っているのか?

 

 

謎は他にもあります。

 

たとえば、図中央の黄緑色の点々。北の小道の停留所は「樫原」。一方、南の大通りには「樫原〇〇」「樫原✕✕」などといった名前が並んでいます。あれ?

②北側の方が閑散としているのに、どうして主役っぽい名前なの?

(=南の大通りが地区の中心として扱われていないのは何故?)

 

それから、左下のオレンジの点々をご覧ください。北の路線には「三ノ宮」停留所があり、ここには立派な鳥居が立っています。そこから南へ歩くと、大通り沿いに「三ノ宮街道」停留所があるのですが……。

③「三ノ宮街道」という名は「三ノ宮」へと続く北側の道路にふさわしいのでは?

 

う~ん、真面目に考えるとかなり不思議だな……。

 

 

ところで、国土地理院がWeb上で全国津々浦々の地図を公開しているって知ってました? 地質とか災害避難場所とか、いろいろな情報のレイヤーを重ねて見ることができる、非常に面白い地図なんです。

 

今日はいつもと違う道で帰ろうかと思いまして、標高のデータを見ておりました。

しかし、神のお告げでしょうか。ほんの好奇心で、私はひとつのボタンをクリックしてみたのです。「年代ごとの地図」というボタンを。

 

 

……あれ? なんか今の地図と違くない?

 

 

そうだよね、こういうことだよね。

1960年代にはまだ、赤い方の道しか無かったんだ!

一本しかないのだから、当然こちらがメイン通り。家々も商店も、赤い道に沿って栄えています。これが「樫原」という地区のルーツなのでしょう。

南側にも宅地はあるのですが、駅へと繋がる東西の主要道路はまだ通っていなかったみたい。

 

検証のため、少し後の年代も見てみましょう。

 

 

1970年代。あ~、なるほど?

 

 

南側の青い大通りが開通しましたが、できたばかりの道なので、周囲はまだ半農状態。この時点では、さほど客足も無かったことでしょう。

一方、北側の通りは、不便とは言えどまだまだ活気があった。依然としてメイン通りであり続けたわけです。

 

これで、答えが出ましたね。

①すぐ南にある大通りにもバス路線があるのに、どうしてわざわざ、狭くて危険な北側の道をバスが走っているのか?

→ 元々は北の通りしかなかった。のちに南の大通りが開発されたが、北の路線も走り続けている。

 

②北側の方が閑散としているのに、どうして主役っぽい名前なの?

→ 歴史的には、メイン通りのある北側が樫原の中心だった。徐々に商業地が南へと移っただけ。

 

いや、面白い! そうだよな、よく考えたら不便な道の方が歴史があるに決まってるよな。

現代の都市規模に囚われてはいけません。都市の不思議を考えるときには、何よりも「ルーツ」に思いを馳せなければ。

 

 

……おや? 何か忘れていますね?

3つめの疑問がまだ残っていました。

 

 

神社というものは遥か昔から存在しているはず。つまり、三ノ宮へと続く街道は「昔の地図にも載っている道」に違いありません。

そこで、上図のような仮説を立ててみましょう。「三ノ宮」の鳥居から始まり「三ノ宮街道」停留所の地点を通る、この「し」型の道が街道なのではないかと。位置関係から考えれば、この道以外の候補はありません。

 

でも、すごく変だと思いませんか? 

本来、神社などの聖地は奥まった場所にあり、逆に参道の入口は人通りの多いところにあるはずです。しかし、この仮説だと、騒がしいメイン通りの方が神社の本堂ということになってしまいます。そして、ゴールよりもスタートの方が寂れた場所に接続していて。そんなわけないじゃない。

 

とまあ、そこまで深い思考ができていたわけではありませんが、とりあえず。

私、現地をお散歩してきました! なかなかやるね!

さて皆さんも、私に付き従って、北から順に見ていきましょう。

 

 

まずは一番北の「三ノ宮」停留所。ご覧の通り、鳥居があるでしょう?

 

 

南の大通りとの交差点。「三ノ宮街道」停留所の目の前です。謎石碑が立っているので、やはりこの道が参道だったのは間違いない。

 

そこからさらに下って、大通りよりも南へ歩いていくと……。

 

 

ん? こっちにも鳥居??

 

 

ありゃ???

 

 

 

あっ!!!!

 

「逆」か!?!?

 

 

つまり、こういうことでした。仮説の時点で「入口」だと思っていた南側こそが、実は神社の本殿だったのです!

逆に「三ノ宮」停留所の鳥居は、参道のゴールではなくスタートでした。昔の人々は赤の通りを歩いてきて、北の入口から南の本殿へと参拝していたのです。のちにバスが走るようになると、神社の入口にある停留所なので「三ノ宮」という名前が付けられました。

後世になって、青い大通りが参道と交わる形で開発されます。まあとりあえず、街道と交差してるし「三ノ宮街道」停留所でいっか……。

しかし、それを知らない現代人の私は、てっきり「三ノ宮街道とは三ノ宮へと続く街道である」と勘違いしたのです。本当の三ノ宮の本殿は南に隠れているのだとも知らずに……。

 

さあ、これにて最後の謎が解き明かされましたね!

 

③「三ノ宮街道」という名は「三ノ宮」へと続く北側の道路にふさわしいのでは?

→ 「三ノ宮」停留所は実は、三ノ宮への入口だった。本当の三ノ宮は、街道を南へと降りていった先にあった。

 

 

神様、ありがとう!(学業成就の神様らしい)

 

 

※この考察はひとつの見解です。ぜひ皆さんの感想・考えをお聞かせください。