正月太りってェ実在するのねェェェ‼️‼️😊ブニョ
顔面死亡ォ。世間が意外にも私を責めないので代わりに私自身が私を責めるのだ。中身が怠惰なくせに外向き見栄を張る優良誤認人間はそれに相応しい心身分裂的な罰を自らに与えよ。こんなことならアカデミアなんて来るんじゃ無かったぜ。周縁的な知識の増加、新たな価値観との接触、就活の時間的余裕の確保、モラトリアムの延長などは嬉しいが、肝心の修士研究は本当に苦しいばかりで精神的に大損であるということをここに述べておきます。
さて、友から「新年の抱負を書きなね❗️🫵😃」とのオーダーがあったので、二秒ばかり考えてみます。しかしアレなんですよ。毎年のことながら、私は抱負というものを持たないし作らない。自分自身の「信じる力」ならびに「信じて努力する力」の不在を自覚しているので、たとえば100円払って何の根拠もなくたまたま手に取った一枚の紙切れとしてのおみくじに何ら予言的効果は無いのと同じように、三が日に思いつきで拵えた新年の抱負とやらに何の拘束力もなければ道義的義務も発生しない。だったらそんな無責任な美辞麗句は生み出さない方がマシではないかと思う(もちろん、信念のある人なら抱負にはれっきとした効果があるでしょうが)。
しかし見方を変えれば、どうせ守っても守らなくても構わない抱負なら、いっそ実現性は度外視して単純に楽しそうなことを妄想的に並べて「抱負」と称したらいいんではないか、それなら面白いんではないか、という発想もできます。なのでその方面からきりちに流・新年の抱負というものを書き連ねてみようか。
・2回目の同人誌頒布
まずはこれです。昨年1月にブルアカオンリーで同人小説を頒布したことは、2024年における数少ないブレイキンニュースでした。やはり自分は好きな文章を書いているときだけはやけにキビキビとして自信も漲ってくる。そして、たとえ1桁であれこの稚拙な本を手に取ってくれる素敵なオタクがいるという事実は、欠片でもクリエイティブ風を志す人間にとってこれ以上ない誉なのです。
さて、2回目のサークル参加をするためには新刊が要る。新刊を刷るためには書き下ろしの長編が要る。ということで、少なくとも3万字分の妄想を何らか書き連ねる必要があります。問題は、それだけ書き上げるに足るほど熱意のこもったネタがあるのか? ということ。現時点では実はほとんどネタのストックがない。何故なら物書きの原動力となる煮凝りのような妄想はこれまでの書き物で既に発射してしまっているからです。
こうなると、むしろ方向性としては「自分が書きたいもの」ではなく「友人が読みたいもの」、つまりお題をもらって書く方が盛り上がるのではないかと思えてきます。現に、一冊目のブルアカ同人小説も、表題作は友人からのリクエストに応えて書いたラブコメでしたからね。だからまあ端的に言うと、お題が欲しいですね。別に有償依頼である必要はなく、むしろこちらからのお願いとして、イイ感じにチャレンジしてみたくなるようなネタが欲しい(ブルアカウマ娘学マスオリキャラその他なんでも)。ただしレシピは好きなようにさせていただきますが……と。😁キ
・高級Skebを投げる
Skeb依頼は楽しい。本当に何もやる気が起きない夜のひととき、私はSkebの新着クリエイター一覧を見て時間を潰しています。舐めるように見て回ってお気に入りの絵師さんを掘り出し、まあ大抵はそこまでで満足してブラウザを閉じるのだが、稀に「よし」と決心して依頼を送ってみて、期待を超えるクオリティの神イラストが返ってきたときの興奮と感謝といったら、もうね。まあもちろん、本来なら自分の描きたいキャラだけ描いていたいはずの絵師さんに見知らぬ他人が金一封を送りつけて知らんキャラの絵を描かせるというディスコミュニケーション気味のシステムなので、当然向こうの気が乗らなくて「う~ん」な納品結果になってしまうこともあるんだけどね。
何にせよ自分好みの絵師さんに自分好みのイラストをお願いできる夢のようなサービスなのですが、まあしかしクライアントが現実的に直面する課題として、いわゆる万バズ神絵師と呼ばれるような方々は本当に依頼料が高い。体感だと、3~5千円くらいなら駆け出しの絵描き志望さんから趣味メインのマイナー絵師さんまでさまざま。1万円を超えると、Twitterで見かけたこともあるような絵柄にブレがない有名絵師さんがちらほら出始める。そして3万を超えたあたりから、ようやく「ザ☆神絵師」として崇められるような経験豊富な面々に首を垂れて丁重な依頼文を送ることが許されるようになります。5万や8万なんて方も多い(本来なら商業絵だけで食っていけるところをわざわざ個人の依頼に乗ってくださるのだから当然といえば当然)。くそう、学生にゃ重すぎるよウン万円は……靴を舐めてもダメですか? ダメですよねェ……。
しかし! このたび! 私は!! 自らアカデミア失格の烙印を押して、四月からサラリーマンに転身する予定となっておりますので!! そうなればきっと、噂に聞く「ぼおなす」とやらを貰った暁にはきっと!! デッケェ~~諭吉渋澤の束を絵師さまの胸に捻じ込んで「いつも楽しみに見ております!!! ボクの大好きなFOX小隊のクルミちゃんを描いてください!!!! あわよくばお風呂に貼れるポスターとして個人的にグッズ化させてください!!!!!」と鼓膜を爆発させることができます!!!!!! うわあああああ!!!!!!!
・なんか歩く
😐スッ 歩きます。なんかフワッとしてますが、歩きます。
「ジオゲッサーで出た場所まで歩いていく」という人気動画の新作が出まして、十数日かけて山超えてひたすら歩くという内容だったのですが、なんつーか「徒歩旅、いいなあ」と思いまして。公共交通都市が好きで東京に進出しておきながら今更のように思い出しましたが、自分の目線の高さで地に足つけてゆっくり進みながら眺める街並みには、車や電車で瞬時に通り過ぎていくのでは取りこぼしてしまう情緒的なディティールというか、文章に残したくなる味わいがあるんですよね。そういうわけで自分も歩きたくなってきたゾ。最近めちゃ足弱ってて良くないし。
さて、どれじゃどこに行きましょうかね。徒歩旅と言っても無暗に遠出がしたいわけではなくて(例の動画のように腹痛を抱えたままトイレのない山道を何時間も歩くなんてのは御免なので)、もっとなんか日帰りで行けるような近さの、それでいてしかし普段なら車窓から眺めるだけで気にも留めないだろうな……というような街の再発見がしたい。どこにしようか? やっぱ、秋葉原みたいなランドマークを目指すのが熱いかな? それなら途中で休めるところもいっぱいあるしな。或いは江戸時代の重要な関所みたいなところを通しで歩いてみてもいいかもしれない。動く鉄の塊に慣れた現代人が忘れている移動の偉大さと足の痛みをナマで感じたい。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~^^楽しい。だらだら文字書き続けるの楽しい。一生新しい抱負を思いつきたい。私まだいくらでも思いつけるんで。修論のことなんか放っといてずっとクソみてえな日記をビヨンビヨンに引き延ばし続けていたい。何ならこのままMicrosoft ExcelではなくPixivの方に移動してそのまま夜が明けるまで透き通った青春のことだけ考えていたいょ。いたいょ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^^
終🥶キン