597日目 ロング・シンキング・ナイト

 

 どこに行くわけでもなければ、誰と会うわけでもない。そんな、一人でダラダラと過ごす一日は久々だ。見知らぬ街で過ごすことや人と雑談を交わすことは私を高揚させるけれど、そこには常に若干の緊張が付きまとう。溌溂とした出会いを楽しむためにこそ、整えた自室に一人きりで籠城し、安穏とする時間も大切なのだ。

 だが、日が落ちてからの長い孤独をパソコンの前で過ごしていると、段々と棘のある思考が立ち込めてくる。ツイッターを始めとするインターネットの情報網には、いつだって何かしらの論争のタネがばら撒かれている。そうした論争——単なる煽り合いかもしれない――を眺めているうちに、いつしか当事者でない私の心中にも、何らかの攻撃的な主張が芽生えてくることがある。こんな気持ちをじっと溜め込むのは大変で、ついついどこか目立たないところに愚痴を起こしてみたりする。するとますます思考が活発化して、いよいよ臨戦態勢のような落ち着かない気分になり……。こうなるともう、自ら消耗していくだけの、たいへん情けない独り相撲である。

 今日もすっかりこのモードに入ってしまい、鬱々としながらブラウザを繰って過ごそうとしていた。……しかし、いつもこんな調子では損ではないか? くちゃくちゃとした考えをくちゃくちゃのままに転がしていては、自分もスッキリしないし、愚痴の残滓を目にした人もいい気持ちはすまい。それに先日などは、高校同期の一人であるタブ子に「君は本当の尖った意見を晒さないね。もっと正直に投げつければいいのに」という旨の指摘をされたりもした。確かにそうかもしれない。

 

 ということで今日は、本来なら有耶無耶にして葬り去られる運命の「お気持ち」を敢えて拾い上げて、一意見としてここに連ねてみたいと思う。

 もしかすると、人の目につくところに明文化してみることで、少しばかり気分がスッとしたり、或いは誰か別の人に知見をプレゼントすることができるかもしれない。何故か現時点で既に結構な文字数を食っており、早くも疲れ始めているが、まあひとつずつ書いていこう。

 

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「キャッシュレス」という言葉が浸透して久しい。私は生まれてこのかた現金に信頼を置いて暮らしてきたが、近頃は誰かと出会う際に、PayPayによる割り勘を求められたり、世間話においてキャッシュレス派の人と意見が合わなかったりということが度々ある。

 そもそも、長らく現金派をやってきた私のような人種には、キャッシュレス派がよく唱える「現金より便利」という意見が信用できないのだ。お店のレジで順番を待っていると、前の人がサッとスマホを取り出すことがある。しかし、その手順が非常にスムーズでスマートであるかというと、決してそうとは限らない。まずはスマホの認証を通すことから始まり、そのお店独自のクーポンアプリが使いにくくてあたふたし、店員に「〇〇ポイント付けますか?」と提案されて慌てて別のアプリを開き、挙句は「すみません、その決済方法は使えません」と言われて恥をかく……。こんなやり取りを毎度やるくらいなら、多少小銭がチャラついたとしても現金精算の方がラクで速く済むではないか。

 しかし! 百聞は一見に如かず。自画自賛ながら、私は偉い。「彼奴らがそこまでキャッシュレスが素晴らしいと信じて疑わないのなら、実際に使ってみてその不便さを暴いてやろうではないか!」ということで、このたび新規に口座とカードを作り、実際にその使用感を確かめることにした(というのは建前で、そろそろ自分も現金派から移行すべきかなと思っていたところである)。

 

 スマホ決済を試し始めてからしばらく経った今日。既に一定の結論は得られているので、ここに共有したいと思う。

 キャッシュレスの利便性を左右するポイント。それは、一言にキャッシュレスと言ってもそれらは「タッチオンリー決済」「アプリ決済」「カード決済」といった種類に分けられる、ということである。

 

・タッチオンリー決済 ……モバイルSuica、iD、QUICPay など

 スマホのホームボタンを押すだけ、もしくはそれすらも不要で、サッとスマホをかざせば完了するタイプの決済方法。紛れもなく便利である。手順の少なさと手軽さにおいて極めて優秀。

 キャッシュレス派の言う「現金よりラク」というのは、このタイプのことを指していたのだと考えられる。早速私も活用し始めたところである。

 

・アプリ決済 ……PayPay、各店のポイントアプリ など

 レジ前でアプリを起動し、適切なバーコード等を見つけて提示する必要がある決済方法。煩雑でストレスフル。この店ではどれが使えて、どれが使えないか……というのを急いで考えたり、慌てて間違えて店員に迷惑をかけたりという手間がかかる。

 私が常々抱いていた「キャッシュレスより現金の方がラク」という意見は、このタイプの決済方法の印象が悪いことから成っていた。アプリ類を上手く使いこなせると経済的に得ができるのかもしれないが、面倒さというデメリットの方が大きく感じてしまう。

 

・カード決済

 スマホではなく、物理カードを取り出して行う決済。どこでも使えるが、便利さはまちまち。「キャッシュレス対応」を掲げている店でカード決済ができないということはほとんどないので、信頼感がある。ただし、ピッとかざすだけで済む場合はラクだが、暗証番号の入力などで手間を取らせる場合もあり、ストレスが無いわけではない。

 

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 最近、高校同期の間で「ウマ娘」熱が再燃している。新たに3人もの友人がゲームを始めた。セイウンスカイに血道を挙げてあらゆるレースを制覇する者、ひとつひとつのシナリオをじっくりと熟読して楽しむ者、新規プレイヤーでありながら抜群の戦略と惜しみない投資で強いウマ娘を育成する者。三者三様の遊び方が非常に盛り上がっており、一時は沈静化していた私やオイスたんのような古参も、彼らに触発されて再び育成を楽しみ始めた。皆でひとつのコンテンツを愛するのは非常に楽しいことである。

 ウマ娘はそのユーザー数の膨大さゆえ、近頃は不満分子の存在も目立つようになっており、ネット上ではコンテンツへの称賛と共に、運営企業へ悪態をつく発言も度々見られる。それらは例えば、ガチャのスケジュールが意地悪でいかにも集金的だという批判であったり、新規層に優しくないという嘆きであったりと様々で、ものによっては決して的外れな指摘ではないのかもしれない。

 しかし、本当にウマ娘運営は極悪非道なのであろうか? 数多の杜撰なソシャゲと比べてもなお、2年以上のロングランを誇り空前絶後のプレイヤー数を獲得したウマ娘の方が「クソゲー」だと吐き捨てられるであろうか?

 どうしてもネット上の意見は露悪的になりがちだが、私自身としてはこのゲームが紛れもない良作であると信じて疑わない。現に友人がそうであるように、今になっても新規のガチ育成勢・ストーリー勢・キャラ推し勢が続々と生まれている。もちろん、日々行われる更新の中には、驚愕や不満も無いわけではない。しかし、そういった揺らぎの話題性をも含めて、私は人生で初めて血道を上げたソシャゲがウマ娘で良かったと思っているし、願わくばほとんどのユーザーにとっては愛されているゲームであると信じたいのだ。

 

 ウマ娘についてもう一件。つい昨日、次のガチャで登場するキャラクターが発表された。そのうちの片方が、深窓の令嬢である「メジロアルダン」の優雅な男装姿。多くのユーザーは彼女の凛々しい姿を歓迎と共に受け止めたが、彼女の嫋やかな女性らしさを好む一部のユーザーは「男装なのか……」とショックを受けた様子であった(通常衣装と新衣装の両方を検索してみると分かりやすいかもしれない)。

 こうした僅かな否定派の意見に対して、その他大勢の肯定派が一斉に異を唱えている、というのが現在の状況である。彼らの指摘は基本的には真っ当なものだ(キャラクターの新しい側面を見られることが新衣装の意義であるとか、アルダン嬢の人格や実馬のエピソードを踏まえるとむしろ素晴らしい新解釈であるとか)。しかし、一部の肯定派はアルダン推しがいわゆる「美少女オタク」的であることを蔑み、端的に言えば「解釈違いを受け入れられないキモオタくんさぁ……笑」という態度に出ており、これが私の胸に引っ掛かった。

 今回は敢えて、否定派の側に立ってみようと思う。彼らの多くは、決して「男装なんてアルダン嬢のやることじゃない!」と憤っているわけではない。ただ、静かに「もっとドレスやワンピースの麗しいお姿が見たかったな……」と夢想しているだけなのだ。というのも、キャラ数が多いソシャゲにおいてガチャによるピンポイントの供給は大変に貴重であり、一度「新衣装」が出てしまえば、その次の衣装が出るまでには莫大な期間を待たされるであろうし、あるいは一生そのような機会が訪れないということもあり得るのである。特定のキャラを推すファンにとって、少ない供給が最上のものであって欲しいという思いは切実なのであり、そんな彼らを外野が腐すなんてことはあまりにも無慈悲すぎはしないか。

 かく言う私も、近い経験をしたことがある。私の最推しである「アグネスデジタル」ちゃんが新衣装として身に纏ったのは、なんとキョンシーを模したコミカルな仮装であった。彼女は基本的にネタ寄りのキャラであるから、面白さに振った衣装は己の仕事を全うしているということで好感が持てるし、フリフリの袖にキュートな三つ編み、アホらしいほどに勢いに特化した演出などは、申し分なく可愛い。……しかし。もしも、もしもキョンシーではなく、乙女感あふれるクリスマスドレスが追加される世界線があったとしたら? 眩しい水着を着て、柄にもなく恥じらうデジたんの姿が見られたとしたら? ……私は間違いなく、そちらの世界線を選んだであろう。我々オタクは公式が提示した解釈をリスペクトして付き従う一方で、どこかに存在したかもしれない理想の推しのお姿を、瞼の裏に描いてしまうときもあるのだ。

 

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 申し訳ない。今日は「思ったこと全部書く」的なノリでスタートしたが、既に執筆開始から二時間を超え、更新タイミング的にもそろそろ締めに入るべき状況になってきた。なので、今回は「AI絵に対する手描き絵師のお気持ち表明」「MT免許取得者のマウンティング」といった火薬庫に触れることは辞めておく。まあ、その方が精神衛生的にも良いし、本来あまり門外漢が口を突っ込むべきところではないだろう。

 

 最後に触れるのは、書き物の話である。

 三月も末となり、もう数日もすればいよいよ新年度が始まる。講義 研究 就活 バイト a beautiful star という生活を送る日々に、趣味の創作に耽るだけの心の余裕が持てるかは分からない。となれば、まだ雑事に追われていない今月のうちに、積極的にSSの類を書いておかねばなるまい。(実は至急書かないといけない論文があるのだが、それは一旦置いておいて)一部の人にご好評いただいているオリジナルの続きや、あるいはウマ娘の二次創作なんかを書きたいというモチベが高まってきたこの頃である。

 しかし、喉の奥に引っ掛かった小骨がある。以前見かけた、とあるやり手の物書きの言葉だ。曰く「二次創作は読者がキャラの事前知識を共有しているので、前置きをすっ飛ばして書きたい濃密な部分だけを書いてもウケるし、逆に起伏のない日常風景だけ書いても喜ばれる。しかし、それを一次創作でやってしまうと、肉付け不足で薄味の身内ネタにしかならない」と。

 一作家の創作論など宛にならない、と一笑に付しても良かったのかもしれないが、私にとってこの指摘は妙に鋭く突き刺さるものであった。

 

 前提として、私は人気作家などではもちろん無い。ウマ二次の方ならいざ知らず、オリキャラのシリーズは完全なる身内ネタである。このシリーズについて語ってくれる友人は数えるほどで、固定的なファンともなればもっと少ない(無論、小規模なコミュニティであるからこそ悪目立ちしないので、たいへんに居心地が良い。不定期に考察DMで盛り上がる日々を楽しんでいる)。すなわち、どのみち私はオリキャラを知っている少数の人に向けて書くのであるから、その書きぶりは前書きを省いた「二次創作的」なものであっても構わないはずである。

 しかし一方で、心のどこかにニュッと顔を出す、少しカッコつけたもう一人の自分がいる。たとえ手前趣味の遊びであっても、世間に公表するからには……自分の作品をしてお出しするからには、誰からの鑑賞にも堪えるものを書きたい。身内ネタに過ぎないオリキャラだけれど、願わくば初見の誰かさんに気に入られて、過去の作品を漁られちゃったりしてみたい。なれば、妄想の垂れ流しと割り切るのではなく、ちゃんと起承転結の読み応えがある、骨太な「一次創作」として書き上げてみせたい……。

 

 そんな思いに囚われた私は、巷でよく言われる「とりあえずまず書いてみたら?」という気楽なマインドを持つことが出来ず、しっかりしたプロットの必要性に駆られた。その結果、次の一作を書き始めるまでの心理的コストが飛躍的に高くなってしまい、まだ一文字も書かぬままこうして日記ばかり弄んでいるというわけである。

 書き物なんて本来、ツイッターダダ漏れになっている上のお口にチャックをして、やがてパンパンに溜まったところでドバッと放出するだけのこと。それぐらい気楽にやればいい。それなのに一丁前に「より良い創作とは」みたいなことを考えてうんうん唸っているのだから、我ながら滑稽な話である。しかも、なかなか書き出せないなどと宣いながら、この日記はもう3時間に渡って6,000字近くも書き続けている。そのエネルギーをちょっとばかし作品の方に割けば、超短編ならすぐに完成するであろう(というかまず論文に割け)。

 しかしながら、分かってはいるがやはり難しいのだ。雑記としてではなく、人に情感の変化を与えしむるものとして文章を書くのは、相当な気合いを要する。また、ある程度の話数が揃って来たシリーズものともなると、以前描いた人物像と乖離の無いように新しい物語を展開せねばならない。まして、語り手を変更するともなれば、不味い場合は過去の描写と壮大な解釈違いを起こす可能性が出てくるのだ。

 

 ああ、こう述べながらも段々と緊張してきて、ますます躊躇を覚えて来た。ぼちぼちネタ案も出始めているが、今日の時点ではまだ踏ん切りがつかない。ことによると創作をやるよりも論文を書く方がまだ気楽かもしれない。それはそれで進捗になるので良いことだが……。