阪神関係ないやろ!!
来たぞ甲子園球場!!!
うおおおおおおおおおおおお!!!!
来 て い ま せ ん
(画像は観光地レビューサイトさんから勝手に借りてきました)
Q. なんで観に行かなかったの?
A. 暑いし金ないねん。知らん熱狂的なおっちゃんらに囲まれてぼっちで3時間も座ってられんし。
まあ、でも……一番の理由はやっぱりこれやろな。
心の余裕が無い。
これに尽きる。
いよいよ院試の日程も固まり、受験者たちが必死こいて勉強しているであろうこのタイミングで、野球観戦みたいな現実逃避が気持ちよくできるか? 答えはもちろん、否。何をやっても「こんなことしてちゃアカンやろクソボケ」と自分に苛立ちが募るばかり。
……かといって、焦りがあるからといって、机に向かう気力が湧くわけでもないけど。
今日は3限を自宅で受けてからずっとフリーで、絶好の勉強日和! という案配でしたが、ずーっとアニヲタwikiの「鬱展開」のページを読んでいました。何やってんだほんとに。
過去問と向き合うモチベなんか一生持ったことないけど、だからといって堂々と遊べるほどの勇気もないから、ギリギリ遊びではないラインの微妙な暇潰し(=ネットサーフィン)で脳を溶かしているわけです。
こんなとき、かの金具ガチャにも実装されている至高の名言が頭をよぎります。
「遊ぶなら気兼ねせず遊べばいいのです、一番無駄なことは遊びも進捗も生まないまま一日を終えること」
勉強……勉強、ねえ。
院試なんかはっきり言って、並の勉強をすれば余裕だと思います。仮にあの高校時代のように、毎日とんでもない量の演習やら課題やらをさせられれば、俺ならちゃんと受かると思う。
私の母校はかなりスパルタ寄りで有名な高校で、とにかく「やらされる」量が多いこと極まりない3年間を送らされました。自力でのびのびとやりたい人にはとことん合わなかっただろうし、実際に母校を恨んでいる人も何人も見たことがあります。その気持ちはよく分かる。
けれど私はというと、懐かしみこそすれ、憎んではいないんです。何故なら、私のように自分を追い込むことができない生徒を、常に力強く勉強に駆り立ててくれたから。自分の努力スペックだけでは到底届かないような都会の大学に、厳しくも頼もしい我が母校が送り出してくれたのです。
話を戻しましょう。「ちゃんとやれば俺ならできる」などと豪語するなら、どうして今の私はこんなにもヤケに陥っているのでしょうか。それは単純。「ちゃんとやれないから」です。
努力スペック不足……というと言い訳がましいので、もっと根本的な部分を指摘します。
私には、情熱が欠けているんです。
私の周りにいる、輝かしい姿を見せて頑張っている人たちは、誰もが胸に情熱を秘めているようです。「国家のために働きたい!」だとか「神絵師になりたい!」だとか、長期的な目標を持って。あるいは「コードを弄るのが好きだ!」なんて。それもまた、立派な情熱のひとつ。
けれども私は、もっと即物的で、短期のチェックポイントを通過していくだけの生き方しかできない。「早く家に帰りたい」とか「さっさと提出してゲームしたい」とか、しょうもないレベルのことしか目指せない。こんな人間には、大きな壁に立ち向かったり、自分の弱さを直視しながら努め励んだり、なんてことは鼻からできっこないのです。
情熱。情熱とは何だ。勉強に関して、胸に炎が燃えることなんて、あるのだろうか。
燃えカスにすらなれず、濡れてしなびたマッチ棒のようになって、私はスーパーの帰り道を歩いていました。
イヤホンを通して聴いている「group_inou」の音楽が、やけに沁み込みます。
人間は音楽を聴くと、それをよく聴いていた頃の感情や記憶が呼び起こされるらしくて。
この曲で私が思い出したのは、大学3年の冬。孤独で憂鬱で追い詰められて、最も「底」だったあのときの記憶です。
明るくもセンチメンタルなこの音楽が、今の自分の胸によく響くということ。
それはつまり、今年こそはと頑張っていたはずなのに、いつの間にか当時と同じ「底」の自分に戻っていたということ。
私は背中を丸めて、汗臭い体を揺らしながら帰ります。洗っていない皿の山と、触れないまま散らばった過去問類や受験票と、薄汚い黄土色のテントウムシが待つアパートへ。
なんでや! ホンマに阪神関係ないやろ!!